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 アフガニスタンで医療、用水路建設、農村復興に取り組んだ中村哲医師が73歳で凶弾に倒れてから、4日で1年。中村さんを支えてきた人たちはその志を引き継ぎ、現地の支援を続けている。長女秋子さん(40)もその一人。中村さんが亡くなった後、NGO「ペシャワール会」(福岡市)の活動に関わるようになった。その思いを聞いた。

拡大する写真・図版アフガニスタンで用水路工事の先頭に立った中村哲さん=2004年、平和医療団・日本(PMS)提供

 ――ペシャワール会の活動に関わるようになったそうですね。きっかけは?

 「父は割と恥ずかしがり屋で、冗談半分だったのでしょうけれど、『家族が来たら何をしゃべったらよいかわからなくなるので、講演会には来ないで』ということも言うような人でした。ペシャワール会の事務局も、私にとっては『父の職場』という感覚が強く、『父がやりにくくなるから、邪魔をしちゃいけない』という気持ちがありました」

 「ですから、会の活動に興味がなかったわけではないのですが、それほど関わることもありませんでした」

拡大する写真・図版ペシャワール会の事務局で作業をする中村秋子さん=2020年11月17日、福岡市中央区、長沢幹城撮影

昨年12月、武装集団に銃撃される
昨年12月4日、中村さんはアフガニスタン東部ジャララバードで武装集団に銃撃され、乗っていた車の運転手や護衛のアフガン人5人とともに命を奪われた。秋子さんは母尚子さんやペシャワール会スタッフとともに中村さんを迎えに現地へ飛んだ

拡大する写真・図版建設した用水路の通水を喜ぶ中村哲さん(中央)とアフガニスタンの子どもたち=2005年、平和医療団・日本(PMS)提供

 「父が亡くなった後、昨年12月から今年1月ごろ、家族を代表してセレモニーに出席したり、家族と会の連絡役として顔を出したりしたのをきっかけに、ボランティアの一員という気持ちで、会の活動に関わりだしました」

 「まだ関わりだしたばかりですが、月に2、3回、事務局に来ています。いまは、現地の写真を使ったカレンダーの販売に関する事務作業や父の残した言葉を集める取り組みに参加しています」

 ――会の活動に関わるようになって、父親像が変わったり、改めて気づいたりしたことはありますか?

 「変わらないですね。むしろ『こういう人だよね』『どこでも一緒なんだ。一貫しているんだ』と再確認しています」

 「父は、人としてすごくシンプ…

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