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 多くの人の心を引きつけ、社会現象にもなった「鬼滅の刃」。「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」では、仲間を守るため、命を燃やす煉獄(れんごく)さんに泣きました。でも現実世界で自己犠牲に感動していていいのか、少し後ろめたさも感じます。エンタメにおける自己犠牲について、元障害者介助ヘルパーで批評家の杉田俊介さん(45)に聞きました。

※劇中の展開・内容について「ネタバレ」があるので、未見の方はご注意ください。

 ――映画に危うさも感じたそうですね。

 「鬼たちの組織はいわば超絶パワハラ企業ですが、それと戦う主人公らの属する鬼殺隊も、ある意味では大義のための自己犠牲は仕方ないという組織です。鬼と戦い、子どもたちは次々に死んでいきます。煉獄杏寿郎(きょうじゅろう)が部下の若者たちを守るために戦うシーンは、あまりにも美しくエモーショナルでしたが、最初見た時には、感動しながらも危ういかなと感じました」

 ――その理由は?

 「特に日本のような社会では、組織や大義のためなら、誰かの犠牲はどうしようもない、とする思考につながらないかという不安がありました。煉獄さんの場合は、母に課された『弱き人を助けることは強く生まれた者の責務だ』というノブレス・オブリージュの哲学を胸に、一人ではクリアできない重すぎる課題に立ち向かって、満身創痍(まんしんそうい)になっていきます。でも、現実の組織論でいえば、個人の犠牲を美談にせずに、特定の誰かに過剰な犠牲や負担を押し付けないシステムをつくることの方が重要ではないでしょうか」

 ――なるほど。でも、やっぱり私は感動してしまいます……。

 「そうなんです。危うさを感じる一方で、僕も煉獄さんの自己犠牲の『崇高さ』については疑えないところがありました。そもそも自己犠牲には、微妙な両義性があるのではないか。他者や目的のために自分をなげうつ尊さがある一方、国や会社のために滅私奉公して使い捨てにされたり、燃え尽きさせられたりするという側面もあります」

 ――昔からある概念ですね。

 「戦時中は『お国のために命を捧げる』という物語が、国民の戦意高揚のために利用されました。そして、現代になっても、『戦死した若者たちの犠牲のうえに、この国がある』という右派の主張があります。でも、そこでは美的なものへの感動のなかで、犠牲の強制という側面が見えなくなっています」

 ――最近ではどうでしょうか。

 「介護現場やコロナ禍のエッセンシャルワーカーもそうでしょう。僕は障害者介護の仕事をしていましたが、現場では、困った人を助けるために自己犠牲の精神を持つのは当然、という考え方を社会から強制される空気を感じていました。自己犠牲が自発的なものではなく、押し付けられてしまうのです。そしてエッセンシャルワークは、社会に不可欠な労働なのに劣悪な条件で安く買いたたかれている、というゆがんだ構造があります。至るところで、自己犠牲の両義的な矛盾が現れています」

 ――それでも、煉獄さんのような自己犠牲にある種の価値を見いだすのはなぜですか?

 「映画で描かれた部分からさらに先へ漫画を読み進めていくと、主人公の竈門炭治郎(かまどたんじろう)は、煉獄さんから受け取った生き方を、さらに先の次元へと昇華させていきます。『強い者が生き延び、弱者は淘汰(とうた)されるのが自然の摂理だ』と主張する鬼に対し、炭治郎は『生まれた時には誰もが弱い赤子だ。誰かに助けてもらわなきゃ生きられない』と言います。たとえ今は鬼であるお前でさえも、と」

 「さらにこう続けます。『強い者は弱い者を助け守る。そして弱い者は強くなり、また自分より弱い者を助け守る。これが自然の摂理だ』。誰かを生かすために自分の力をつかうことが、滅私奉公としての自己犠牲ではなく、自分のための自己実現にもなっていく。そうした自然の摂理に根ざした自己犠牲の形があるということ、それが作品全編に通底する一つの価値観ではないかと感じました」

 ――自然の摂理としての自己犠…

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