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 山口県宇部市の床波海岸。白い砂浜の沖合に、2本の太い柱が立っている。「ピーヤ」と呼ばれる海底炭鉱の排気・排水筒だ。そのさらに沖の海底に、太平洋戦争中、長生(ちょうせい)炭鉱で働いていた坑内労働者183人が今も眠る。その7割強、136人は朝鮮人だった。

 海底下約30メートルの坑道で天盤が崩れたのは1942年2月3日。翌日の新聞各紙が報じた。坑道に海水がドッと入り、坑口への急勾配を登り切れずに大勢が死んだ。事故は「水非常」と呼ばれた。

拡大する写真・図版海底炭鉱から突き出たピーヤ(排気・排水筒)の前に立つ井上洋子=2020年10月5日午後4時15分、山口県宇部市床波、阿久沢悦子撮影

 30年後に炭鉱を訪れた高校教諭の山口武信(たけのぶ)(故人)は事故を調べるうち、背景に日本の植民地政策や人権問題があると気づいた。事故当時の長生炭鉱の別名は「朝鮮炭鉱」。不足する労働力を植民地に求めた。会社の記録によると39~41年に20~35歳の1258人を連れてきた。逃亡が相次いだため、合宿所に軟禁した。

 山口は91年、地元有志らと「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」を結成し、追悼碑の建立に取り組んだ。犠牲者の本名を特定するため、会はまず、名簿の本籍地に手紙を送った。韓国から17通の返信があった。

 「これが初めての消息です」「…

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