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 福島県富岡町から神奈川県の長女宅に避難した古内(ふるうち)タケヨさんは今年、100歳を迎えた。自宅がある地区の避難指示は2023年春ごろまでに解除される見込みだが、戻って暮らすつもりはない。ただ、春になると家の前で咲き誇る桜並木を、もう一度見たいと願う。

 震災の3年前に夫を亡くし、福島第一原発から10キロの距離にある富岡町の一軒家に1人で暮らしていた。激しい揺れで築40年近い家は屋根瓦の一部が落ち、ブロック塀が崩れた。

 「あんな地震は初めて。怖かったな。原発事故にもびっくりした」。町内には福島第二原発があり、ずっと原発は安全だと信じてきた。「まさか、こんなことが起きるとは思っていないわよ」と振り返る。

 親類宅を転々とし、半年後に神奈川県鎌倉市の長女宅へ移った。家族4人に囲まれて暮らすようになり、中断していた日記を付け始めた。避難前は足の痛みで通院していたが、症状は改善していった。「椅子に座る生活になったからかな。人間は足から弱るというから気をつけないとね」

 避難した友人と、電話で連絡を取り合うこともあった。「(友人は)耳が遠くなったり足が弱ったりし、その家族から『うちのおばあちゃん、認知症になっちゃった』といった話を聞いた。残念なこと。原発事故がなければ、わが家でのんびりできたのに」

 「原発は憎いが、宿命だと思い、できるだけ前向きに生きるしかない。自分が生きている間に収束して、家に戻れるようにしてほしい」と思った。

泥棒、家畜…荒廃した終のすみか

 生まれは川内村。同郷の夫が神奈川県警に就職し、同県での生活が長かった。夫の定年後、「終(つい)のすみかに」と決めたのが富岡町の夜の森地区だった。

 「場所がいいからね」。有名な桜並木がある通りから少し入った静かな場所に土地を買って家を建てた。春には風に乗って花びらが庭に舞い込んできた。避難後、テレビに夜の森の桜並木の景色が映ると、ひょっとして自宅が見られるかもと、映像を追った。

 夫の墓がある川内村には避難後…

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