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 「泡沫(ほうまつ)」という言葉がこれほど似合う芸術家もいないだろう。1970年代には勝ち目のない東京都知事選に2度立候補し、ランニングシャツ1枚になってグリコのマークをまねるパフォーマンス「ダリコ」を晩年まで続けた。世間体とは無縁。失笑と向き合い、今年4月に85歳で亡くなった前衛美術家・秋山祐徳太子の回顧展が、東京都中央区銀座4丁目の「ギャラリー58」で開かれている。

 展覧会名は「Fever! Akiyama 秋山祐徳太子回顧展」。都知事選のポスターや関連資料、「秋山祐徳太子の母」といった著作の自筆原稿、活動の記録写真など200点以上をギャラリーの壁いっぱいに並べ、時系列で歩みをたどっている。

 35年生まれの秋山は、1歳のころに父と兄を結核で亡くした。母・千代は花街だった東京の新富町でおしるこ屋を営み、母一人子一人の生活が続いた。武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)で学生運動に精力を傾け、電機メーカーに就職すると労働運動に取り組んだ秋山が、前衛美術に刺激を受けて、「ポップ・ハプニング」と称したパフォーマンスを街頭で始めたのは32歳のときだ。

 その代表作の一つが、後に、グリコの宣伝だと思われるのは嫌だと「ダリコ」と名付けたパフォーマンス。白いランニングシャツと短パンを身につけ、日の丸を背負い、両手を斜めに突き上げてポーズを取る。その理由について、かつて記者が聞くと、秋山は大まじめにこう答えた。

 「子どものころ、グリコのおま…

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