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 江戸時代、財政難に陥っていた延暦寺を支えた存在は何だったのか。その実態や組織、経営のあり方を、藤田和敏・相国寺寺史編纂(へんさん)室研究員(48)が近著で明らかにした。

 788年に最澄が創建した延暦寺は天台宗の総本山として栄えたが、1571年の織田信長による焼き打ちで全山が焼失した。豊臣政権や江戸幕府によって再建が進められたが、寺領は5千石と不十分で、慢性的な財政難に陥っていた。

 『近世の天台宗と延暦寺』(法蔵館、本体3500円)の中で、藤田さんは、財政窮乏を補うため活用されたのが、神仏習合のもとで地方の神社に併設された神宮寺との師弟関係だったと指摘した。

 神宮寺では、雨乞いなどの祈禱…

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