第1回「死んだ女の子」私は歌い続ける 元ちとせさんと核兵器

有料記事核といのちを考える

聞き手・武田肇 編集委員・副島英樹
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 新型コロナウイルスの感染拡大でライブができずにいます。そんな中、8月7日に長崎市の稲佐山公園での音楽祭に出演しました。被爆75年の節目に「長崎から世界へ平和を」というメッセージを伝えようと地元出身で核廃絶に強い思いを持つさだまさしさんが司会を務めた無観客コンサートで、テレビで中継されました。

 はじめ・ちとせ 鹿児島県奄美大島生まれ。2002年に「ワダツミの木」でメジャーデビュー。奄美に生活拠点を置く。「死んだ女の子」は、被爆70年の15年に出したアルバム「平和元年」に収録。

平和を歌い続ける理由

 平和を歌い継ぐことを音楽活動のテーマの一つにして15年になります。きっかけは、被爆60年の2005年8月6日。報道番組の企画で、広島の原爆ドーム前で坂本龍一さんのピアノ伴奏で反戦歌「死んだ女の子」を歌いました。

 《あたしは死んだの あのヒロシマで あのヒロシマで 夏の朝に あのときも七つ いまでも七つ 死んだ子はけっして大きくならないの》

 もとはトルコの詩人ナジム・ヒクメットが広島の原爆で犠牲になった7歳の少女をテーマに書いた即興詩に、日本人の音楽家が曲をつけたものです。デビュー前、所属事務所の社長に勧められながらタイトルや歌詞への恐怖心から拒絶しました。でもその後、広島の平和記念資料館で原爆の熱線で石段に残った人の影を見て、歌う決心をした経緯があります。以来、毎年夏に歌う機会をいただき、期間限定でインターネットでも配信してきました。

 平和であることの大切さは永…

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