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スポーツ好奇心

 京滋大学野球リーグの京都先端科学大を今年、プロ野球日本ハムなどで活躍した中島輝士さん(58)が監督として率いた。NPBや独立リーグ、海外球団でも指導した豊富な経験を持つが、学生野球の監督は初めて。この1年、どんなことを考えて指導したのだろうか。

 京都先端科学大(旧・京都学園大)は、京滋リーグで佛教大に次ぐ16度の優勝を誇る。最後の優勝は2018年春。今秋は優勝決定戦まで進んだものの、延長十二回タイブレークの末、佛教大に1―2で惜敗。中島監督は「選手たちはよく頑張ったが、経験が浅い。1球を大事にするということを練習の中でもっと取り組んでいかないと」と語った。

 京都先端科学大は大学名を改称した19年、体育会系クラブの競技レベルを上げようとスポーツ振興室を創設。同室のスタッフになった坂根耕世前監督が「人柄も良くて、この人になら任せられる」と付き合いのあった中島さんに就任を依頼した。

 中島監督はドラフト1位で1989年に日本ハムに入団。近鉄に移籍後、98年に現役を引退し、両球団でコーチやスカウト、独立リーグの監督も務め、台湾、韓国のプロ野球でも指導した。19年2月に学生野球資格を回復しており、「やるよ」と快く引き受けた。

 中島監督は今年1月の就任時、約100人の部員らに伝えた。「君たちのような20歳前後が人生の中で一番技術がうまくなる。どういうプレー、成長をしてくれるのか非常に楽しみにしている」。これは自身の経験に基づいて、投げかけた言葉だ。

 福岡・柳川高で投手として選抜大会に出場。社会人野球のプリンスホテルに進んだが、血行障害で打者への転向を余儀なくされた。当時の監督の「とにかく1年間、打者でやってみろ」という言葉を胸に、時間を忘れるほど無我夢中で毎日バットを振り続けた。

 すると、手応えを感じるようになる。日本代表にも選ばれ、88年ソウル五輪では4番打者として銀メダル獲得に貢献した。「『野球を続けたい、打ちたい』とただ夢中だった。野球人生がそれから変わった。頑張ったやつにはそれなりの結果が出てくる。夢中になれる時にどれだけ伸びていくかが大事だよ」と振り返る。

 初めて学生野球の監督を務め、プロとの違いを感じる部分がある。「卒業と入学で、チームがどんどん変わるので、3年半でどう成長させるか。また、調子にムラがあり、力が安定していない。考えることがたくさんある」。一方で「野球は同じ野球。指導にプロもアマも関係ない」とも話す。

 自身は強打でならしたが、目指…

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