拡大する写真・図版「気仙沼」と書かれた石が世界へ旅立った=2020年9月13日午後2時34分、気仙沼市立唐桑公民館、星乃勇介撮影

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 「WA ROCK」(ワロック)をご存じだろうか。石に絵を描き、街中に置いたり交換したりして、関わる人の輪を広げていくちょっと知的な遊びだ。東北で静かに流行している。この夏、宮城県気仙沼市の公民館に、市内初の交換所ができた。作ったのは1人の職員。東日本大震災の津波で祖母を亡くし、家を失った。あれから間もなく10年。彼は、祖母を奪った海で石を拾い、筆を握り、描き始めた。未来に向けた、ある祈りと共に――。=敬称略

 「お時間になりました。WA ROCK講座、始めたいと思います」

 9月のある日の午後。気仙沼市の唐桑公民館で、同館主査の穀田拓海(39)が明るい声で呼びかけた。「ワロックとは、石に絵を描いて人から人へ渡す遊びです。みんなの輪を広げるのが目的です」

 みんなキョトンとしている。机には平たい石と蛍光ペン、そして、作り方を解説した穀田の手書き4コママンガ。「描くのは何でもOKです。絆とか愛とか、字だけでも」

拡大する写真・図版「旅する石」ワロックを説明する穀田拓海=2020年9月13日午後2時7分、気仙沼市立唐桑公民館、星乃勇介撮影

 よぐわがらねぇ。苦笑が広がる。それでも参加者はマンガを見ながらペンを動かし始めた。「色はいっぱい使ってください」「いいですね、きれいですね」。穀田が机の間を励まして歩く。魚、観光名所、ペット……描くうちに、参加者の目が輝いてきた。ペンの動きが速くなる。

 絵が続々と仕上がる。穀田がラッカーを吹き付け完成だ。さっきまではただの石、いまや立派な「アート」だ。互いの作品を前に、参加者のよもやま話に花が咲く。「意外と面白いんでねが?」。初めは仏頂面だった初老の男性が、笑いながら石と「自撮り」を繰り返していた。

 ワロックは西オーストラリア発祥で、石に絵や文字を描いて隠し、拾っては移動させる。「旅する石」とも呼ばれるが、日本では置き場所が問題になるため、交換所が増えている。

 穀田はこの交換所を7月、市内で初めて唐桑公民館に設けた。秋田で広まっていたこの遊びが宮城にも入ってきたというニュースを見たのがきっかけだ。

 石に描かれるモチーフは名所旧跡やご当地キャラ、グルメなどが多い。地域の再発見にもつながることから、公民館活動と相性が良い。また、愛好者は石と共に全国を旅するため、コストをかけない観光振興にもなると踏んだ。

拡大する写真・図版参加者の作品=2020年9月13日午後2時30分、気仙沼市立唐桑公民館、星乃勇介撮影

 だが、穀田が目をつけた最大の目的は、東日本大震災の風化防止だ。間もなく10年。県外ではもう、3月を除けばほとんど話題に上らない。石の裏に「kesennuma」(気仙沼)と書きつつ、穀田は思う。

 被災地に目を向ける人が1人でも増えれば。まちが消えるほどの被害を受けたのに、そんなに簡単に忘れられていいのか。忘れさせてたまるか。

 3・11では、多くの公務員が自ら被災しつつ、住民のために働き続けた。穀田も自宅を焼かれ、実家を流され、祖母(当時76)を失った。住民の遺体を運び、火葬場に詰め、ハエだらけのまちに殺虫剤を配って歩いた。

 一家全滅だけは免れた。「1人ででも逃げろ」が、亡くなった祖母の口癖だった。いわゆる「てんでんこ」の徹底で、ほかの家族は生き残った。

 震災までは都会暮らしにあこがれていた。震災翌年、娘を授かり、故郷に骨を埋める覚悟をした。だから妻子にも、祖母の教えを言い聞かせる。

 それは、津波常襲地帯である三陸に生きる者の掟(おきて)だからだ。

津波で祖母と家を失った穀田さん。記事の後半では、あの日穀田さんが目にした光景と、それから10年の歳月を追います。

■悲鳴と号泣、何が起き…

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