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 総務省の官僚だった岡本全勝さん(65)は、東日本大震災直後から政府の被災者支援策をとりまとめ、復興庁で事務次官を務めるなど、この10年近くずっと被災地にかかわってきた。9月に退任した霞が関の「ミスター復興」に聞いた。

 ――今回の復興政策の特徴はなんでしょう。

 「国土の復旧」から「暮らしの再建」へと、政府の災害対応の守備範囲を大きく広げたこと。行政哲学の大転換だった(図参照)。

 以前から公共インフラの復旧は行政が責任を持ってやってきた。今回の震災では、元に戻す復旧だけでなく、街の高台移転や機能向上といった復興まで、国費投入の対象にした。

 さらに、従来は企業・事業主の責任だった産業となりわいの再生についても、中小企業の施設・設備復旧に初めて補助(グループ補助金)を出し、仮設の工場や商店を無償提供した。同様に、これまで国の守備範囲ではなかったコミュニティー再建も、仮設住宅での孤立防止や町内会立ち上げなどを支援。手法もソフトな支援に広がり、企業やNPOとの協働が数多くとりいれられた。

 ――官僚の世界は前例踏襲主義です。どうやって打ち破れたのですか。

 政府の復興構想会議が2011年6月にまとめた提言で、「減災」の考え方や復興増税を明記し、施策の方向性を示した。これをバイブルに役人たちは走り始める。何よりあれだけの被害を受け、現場が前例のない支援を必要としていた。政治もマスコミも、誰も批判しなかった。

 民主党政権は「脱官僚」を掲げていた。官僚の存在意義が問われる戦いだと、部下たちを鼓舞した。

 ――異例の措置の一つが復旧・復興事業で被災自治体の財政負担をなくしたこと。その結果、過大なまちづくりや施設整備になったと指摘されています。

 地方負担ゼロも、それが当たり前という空気の中で(11年秋に)決まった。私も最初そう思ったが、しばらくしてよくなかったかなと。住民が減り、かさ上げや高台移転計画が過大になっても、市町村は自己負担がないため、縮小するインセンティブがない。ある首長は「人口が減る前提では議会に話はできない」と言った。住民意向調査を繰り返すことで、計画を縮小させていった。

 身の丈に合った計画にするため、5%でも負担してもらうべきだった。財政力のない市町村は率を下げ、それでももたない所は特別交付税で救済すればいい。

 ――12年末に自民党政権に交代。復興予算の枠を拡大するなどします。

 (復興の)アクセルは踏まれた。一方、民主党政権下で総花的に広がった復興事業に、優先順位をつけられるようにもなった。

 自民党の震災復興加速化本部長となった大島理森氏(現衆院議長)が、差配をした。同本部の会合で被災地選出の国会議員らが様々な意見を言う。それらを集約し、各省庁、公明党と調整しながら絞り込み、提言を首相に提出する。そうやって優先度の低い事業は後回しにして、査定してゆくシステムができた。

 ――5年間の集中復興期間の後、16年度から事業の一部に最大3%程度の地方負担が導入されました。

 14年9月に就任した竹下亘復興相(島根県選出)が主導した。どう政治家を説得したものかと考えていたので、ありがたかった。当初案に対し地元首長たちの要求を一部のむ形にして、収まるところに収まった。被災地出身の復興大臣だったら難しかっただろう。

 ――この間、安倍政権が7年8カ月続きました。安倍晋三前首相が復興に果たした役割は。

 政治判断を仰ぐことはあまりなかったが、被災地に40回以上足を運び、関心を持ち続けてくださったことは大きい。政治は一つの舞台演技。総理が現場でおにぎりを食べたり、コンバインに乗ったりするだけで、地元は元気が出る。その図式が必要だった。

 ――10年を振り返って、教訓は何でしょう。

 単純計算で住民1人あたり数千万円~1億円の公費を投じ、高台やかさ上げの新市街地が各地にできた。同じ額を被災者一人一人に渡せばよいとの批判も聞くが、経済合理性だけでは比較できない。ふるさとの町を取り戻したいという思いに、国がそれだけ支援したということだ。

 ただ次に南海トラフ地震が起きたとき、あれだけの街を広大な沿岸各地につくれるか。それだけの国力はあるか。インフラ整備は絞り、なりわい再生やコミュニティー再建を優先することになるのではないか。

 私たちは走りながら復興を進めざるをえなかった。そもそも住宅や道路、防潮堤の整備、なりわい再生、コミュニティー支援などの費用対効果を、同じハカリに載せて比較評価はできない。同じ財布の中でどう優先順位をつけ、どれを落とすか。それは政治の仕事だろう。

 ――国の守備範囲を広げた復興行政。今後の災害でも生かされますか。

 たとえばグループ補助金や被災者の見守り支援などは、その後の激甚災害にも引き継がれたが、各省がばらばらに所管する形だ。私は復興庁のように、司令塔になり、被災自治体の窓口にもなる常設組織「防災復興庁」が必要だと思う。与党内にもそうした意見はあったが、実現していないのは残念だ。(編集委員・石橋英昭、渡辺洋介)

     ◇

 おかもと・まさかつ 奈良県出身、1978年旧自治省入省。2011年3月の震災直後から政府の被災者生活支援特別対策本部、6月から復興対策本部事務局次長。12年の復興庁発足とともに同庁統括官、15年事務次官、16年~20年9月まで内閣官房参与、福島復興再生総局事務局長。来年1月21日、朝日新聞社などがオンラインで開くシンポジウム「東日本大震災から10年~復興の教訓と未来への展望」で基調講演する。