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 料理人・日高良実さん、63歳。自身のレストラン名でもある「アクアパッツァ」を日本に広めた「イタリアンの巨匠」にして、二つの店で28人を雇う経営者は、コロナ禍を生き抜くためにユーチューバーになった。「わらをもつかむ思いで飛び込んだら、世界の見え方が変わっていった」。挑戦の250日、その舞台裏を聞いた。

拡大する写真・図版スタッフも撮影に参加する。「魚のカルパッチョ」の回では塩の振り方を解説した=YouTube「日高良実のACQUAPAZZAチャンネル」から

無意識にバカにしていた動画、コメントに驚き

 ――YouTube「日高良実のACQUAPAZZA(アクアパッツァ)チャンネル」は、開設から4カ月で登録数10万を超えました。ペスカトーレやペペロンチーノといった日本で人気の料理から、しみじみしたイタリアの地方料理まで紹介されています。

 新型コロナの打撃で、店も会社も潰すことになるのかと追い込まれた今年の春、何かやらなくてはと頼ったのがユーチューブというのが、正直なところです。

 世の中に自分をさらけ出すなんて考えもしませんでしたが、「コロナのおかげ」と言えるくらい、新しい世界に立つことができた。ビジネスとして真剣に取り組んでいます。

拡大する写真・図版 ひだか・よしみ 神戸市出身。フランス料理からイタリア料理へ転向し、1986年から3年間イタリア各地で修業。帰国後、「リストランテ山崎」の料理長を経て90年、東京・西麻布に「ACQUA PAZZA」オープン(現店舗は南青山)。2007年、神奈川・横須賀美術館に「ACQUAMARE(アクアマーレ)」を出店。日本の食材を生かしたイタリア料理を提案し続けている。

 ――きっかけは?

 料理の人気ユーチューバー「Chef Ropia(シェフ・ロピア)」さん=長野のイタリア料理店「フローリア」のシェフ小林諭史(あきふみ)さん(40)=からの出演依頼です。予約客のキャンセルが日に日に増えていた3月で、軽い気持ちで引き受けました。

 動画に対する興味の一方で、無意識にバカにしていた面もあったと思います。最初の動画を後から見返すと、ちょっと傲慢(ごうまん)な態度をとっているんです。

 店のキッチンで看板メニューの「アクアパッツァ」を作ったのですが、ぐんぐん伸びる再生回数と書き込まれるコメントにびっくり。喜んで見てくれているのがわかるし、説明が面倒で材料のチダイを、ついマダイだと言ってしまった場面には、次々と正解を挙げた指摘がきました。こんなに料理が好きなのか、ここまで細かく見てくれているのかと。

 自分から訂正したのですが、距離の近さを実感して、急激に意識が変わりました。

巨匠が陥っていた試練

 ――1990年に「アクアパッツァ」をオープンしてから、今年で30年。店名にした南イタリアの漁師料理は、日本では学校給食のメニューになるなど、本国より有名だと言われます。

 実はここ数年、僕自身はいい人生を送っていませんでした。

 2年前、東京・広尾にあった店を現在の港区南青山に移転したのは、キッチンでの油の不始末からぼやを出し、退去を余儀なくされたからです。地方出張中の出来事でした。

拡大する写真・図版「自分は経営者に向いているわけではない。数字も読めないし。ただ、いまは思うようにやれています」=港区南青山

 人の被害はなかったものの、店は天井まで壊れて地下にも水漏れ。傾く店に当時の従業員たちが転職先を探し始めたのもわかって、経営者の孤独を味わいました。

 原状回復に1億2千万円です。毎晩アルコールと睡眠薬なしにいられない時期を乗り越えられたのは、妻が見守ってくれていたおかげです。

 そんな移転の再出発から2年、ようやく落ち着いて、これから、という時にコロナが来たわけです。

コロナ禍で人員削減でなく増員募集をした理由とは。記事の後半では、コロナ禍を前向きな変化につなげようとする様々なチャレンジについて語ります。

 ――4月1日から1カ月半、店は営業自粛をしたのですね。

 表通りから奥まった商業施設の2階という立地で、テイクアウト販売には向きません。従業員は勉強の期間とし、雇用調整助成金の申請に取りかかりました。明るい材料といえば、休業直後に配信された最初の動画の手応えしかありませんでした。

 こちらからシェフ・ロピアさんに撮影をお願いしました。動画を通じて自分の料理を見せて何かを感じてもらうことで、営業を再開できた時に店に来てもらいたい。長野に向かう新幹線の、ほかに誰も乗っていない車両で、気合を入れたのを覚えています。

 ただ、いま苦しいのは自分だけではないでしょう? なるようになるさというケ・セラ・セラの精神で開き直ったせいか、行動力はありました。最後に夜逃げするならもっと借金しとけばよかったとか、そんなことも考えました。

拡大する写真・図版「魂を込めた」という「チーズとじゃがいものカリカリ焼き」は視聴回数165万回(12月11日現在)。撮影した「シェフ・ロピア」こと小林諭史さんは「僕にとってはあこがれのトップシェフ。その技術を誰でも動画で勉強できるなんて、料理界に革命が起きていると思いました」=YouTube「Chef Ropia」から

 ――この時長野で撮影したメニューは、ご自身の修業時代の思い出のパスタや、店の定番として作り続けているジャガイモ料理など、料理人としての足取りと重なりました。

 魂をこめたのが伝わったのか、5月に店を再開すると、動画を見て料理を作ってくれていた人が、本物はどんな味かと確かめに足を運んでくれるようになりました。ご夫婦やカップルが中心で、記念日に久しぶりの外食だというお話もよく聞きました。

 動画を利用してくれているのは、自粛期間中に料理に関心を持ったという男性が中心です。旬の魚への関心も高く、調理しながら周囲を掃除するところまでまねしてくれる。イタリア料理の基本と手軽なアレンジを、ていねいに説明するよう心がけています。

 テレビ番組の場合、こちらも「出していただく」感覚ですし、周囲から「テレビに出ていましたね」と声はかけられても、関係は薄い。ユーチューブの場合は、店のファンづくりができるところが大きく違います。

拡大する写真・図版季節の生魚を使った「魚のカルパッチョ」の完成品。からすみやハーブを使ったソースも紹介した=「日高良実のACQUAPAZZAチャンネル」から

震災の後悔、今度は負けない

 ――そして7月末に自分のチャンネルを始めました。

 ゼロから立ち上げるのとは違い、ある程度の登録や再生回数による収益が見込めたので、撮影と編集はプロに頼むことができました。

 ――私も「たことじゃがいもの温サラダ」を見てすぐ作りました。味はいいけれど、タコが少し硬くなっちゃって……。

 火の入れ過ぎかな。タコに切り込みを入れてもいいですよ。

 内容は家庭向けですが、プライドを持ってイタリア料理を作り、調理技術や料理の背景も伝えられる。店のスタッフも登場して、自分の言葉で説明する。名前を覚えてもらえば、仕事へのモチベーションはあがります。

 東日本大震災の影響で客足が落ちた時、がんばってくれていたアルバイトやパートの人を解雇したことを、ずっと後悔していました。だから、今回は雇用を守ると決めた。ユーチューブで発信力を持って、通販を事業の柱のひとつにすることができた。ランチ営業を1日休んで、通販用の調理と配送に総出であたります。

拡大する写真・図版動画には店のスタッフがアシスタントや試食役で登場する。「自分で調べて自分の言葉で説明してもらっています」=東京都港区南青山

 ――働き方も変わりますか?

 飲食業の長時間労働は、もはや通用しません。年中無休の営業と従業員の週休2日制の両立を進めていますが、休みの人の分をカバーしあうことで、若手も仕事の幅が広がります。コロナ禍に増員の人材の募集をするなんて、半年前を思うとあり得ない変化です。

 自分の年齢を考えると、ある程度の人数のスタッフを率いて一線に立つことは、体力的に厳しくなっていくでしょう。これから何ができるかのヒントも、ユーチューブに教わりました。各地の生産者さんや、一緒に仕事をした店のOB・OGの料理人を訪ねて紹介したいと考えています。

 下手ながら、自撮りのルポにも挑戦しています。イタリア料理のいいところはオープンなところ。全体を盛り上げることにつながれば、素直にうれしい。

(コロナ後の世界を語る)(聞き手=編集委員・長沢美津子