渋沢栄一書の大作修復へ 塩原太助に注目再び みなかみ

遠藤雄二
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 現在の群馬県みなかみ町の農家に生まれ、江戸で大商人になった塩原太助(1743~1816)。生家近くの観光施設には、明治・大正時代の実業家、渋沢栄一(1840~1931)が太助の記念碑建立のために筆をとった書が保管されている。地元関係者は、渋沢の生涯を描くNHK大河ドラマが来年放映されるのを好機ととらえ、書の修復に乗り出した。

 渋沢が揮毫(きごう)したのは長さ約4・7メートル、幅約2メートルの大作。「塩原太助翁之碑」と大書され、左脇の「子爵渋沢栄一書」の下には氏名と雅号「青淵」の落款がある。

 塩原太助記念館(同町新巻)の永井介嗣(すけつぐ)館長(72)が5年前、近くの「宝物庫」で捜し物をしていたところ、偶然発見した。渋沢栄一記念財団・渋沢史料館(東京都北区)によると、渋沢が1925(大正14)年2月に揮毫したとする記録があるという。

 地元の塩原太助遺跡保存会によると、依頼したのは太助と同郷の実業家、生方大吉。承諾した渋沢が筆をとったのは85歳の時だった。書をもとに碑は28(昭和3)年に建立された。

 渋沢の書は記念館を併設する観光施設「太助の郷」2階で展示されている。ただ、ケースに収められて全体が見にくいこともあり、見学する人は少ない。

 宝物庫で巻かれたまま長年置かれていたために傷みがあり、管理する保存会と町は専門業者に依頼して年内に修復作業を始める。

 本物は保管したうえで、複製を記念館入り口近くの吹き抜けの壁につり下げる方向で検討している。永井館長は「お年寄りも障害のある人も、2階に上がらずに間近で見られるようにしたい」と話す。

 太助は幼くして両親を失い、19歳の時、江戸に出て炭屋に奉公。独立して江戸一番の炭問屋を築いた。資産を道路改修や常夜灯の建立など公益事業に投じたといい、偉人として「上毛かるた」にも読まれている。

 太助の生家の向かいに住む保存会の原澤典雄さん(71)は「成功して得たお金を公共のために使った太助に、渋沢は共感していたと思う。この書と太助を通じて、世や人に尽くすことの大切さを伝えていきたい」と話している。(遠藤雄二)