才もあれば、情もあった人だった。「女剣劇の大御所」と言われた浅香光代さん。自分を偽ったり、飾ったりすることはなく、恥も失敗もぶちまける。いかにも江戸っ子らしい歯切れの良さが魅力だった。92歳の波乱の生涯。舞台で見せる豪快さとは裏腹に、細やかな気遣いや優しさがあった。

拡大する写真・図版「浅香流舞踊の会」で、梨元勝さん(左)と共演した家元の浅香光代さん(中央)(2001年6月、東京都台東区の浅草公会堂、浅香事務所提供)

 2005年3月。浅草在住の風俗ライター吉村平吉さんが84歳で亡くなったとき、浅香さんは斎場で長い巻紙を手に弔辞を述べた。そのあと棺の前で長谷川伸の名戯曲「一本刀土俵入」を披露。「しがねえ姿の、土俵入りでござんす~」と主人公・駒形茂兵衛の名ゼリフを朗々と語り、参列者の涙を誘った。

 このときだけではない。浅草ゆかりの芸能関係者が亡くなると、浅香さんは焼香を上げ、お祭りやイベント会場にもよく顔を出していた。「義理堅い人なんですよ」と地元の人は言っていた。

 そんな浅香さんからたっぷり話をうかがうことができたのは2010年8月。芸能リポーター梨元勝さんの悲報が流れたときだった。私は浅草の花柳街に近い浅香さんの事務所兼自宅を訪ねた。梨元さんは浅香さんの門弟だった。

 「私とはツーカーの仲。浅草のお祭りにもよく来てくれました」と言う。

 1976年、女性誌記者から転身した梨元さん。浅香さんは最初あまり相手にしなかったが、踊りのことをよく知っているかのように話すので「あなたね、ちょっと違うんじゃないの! きっちり勉強したら」と一喝した。それがきっかけで「名取になるまで頑張る」と梨元さんは弟子入りしたという。

拡大する写真・図版念入りに舞台化粧をする浅香光代さん=1985年

 全国3千人以上の門弟がいる「演劇舞踊浅香流」。梨元さんはリポーターの仕事の合間を縫ってけいこ場に通い詰め、浅草公会堂の舞台にも出演した。会場では「梨元の瓦版」と題し、自らが編集した芸能ニュースを配布。浅香流の「広報部長」としての活動にも尽力したという。

格好なんか構っちゃいられない…弾みで着物の下から

 それにしても浅香さんの活躍は…

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