第3回「薬漬け」への不安 行き着いた森田療法、途切れた通院
汚れてしまった自分をきれいにしようと、手洗いが何時間もやめられなくなる――。そんな状態が続く精神疾患の「強迫性障害」と長年闘ってきた記者と家族の姿をお伝えする連載の3回目です。
●「手洗いがやめられない ~記者が強迫性障害になって~」第3回(https://www.asahi.com/rensai/list.html?id=1139)
精神科クリニックへの通院は続けていた。
だが、手洗いやシャワーの時間は、相変わらず長いと1~2時間、という日々だった。
外出時も、同僚や他人とすれ違うたびに、僕(53)は「汚いものがついたかもしれない」と気になっていた。
1996年8月、そんな僕を心配する実家の父(95)から、速達が届いた。封を開けると、「森田療法」という神経症(不安障害)の治療法について書かれていた。「自助グループが全国にあるようなので、行ってみたらどうか」という内容だった。
森田療法という言葉については、父の本棚で関連書籍を見たことがあったので知っていた。「何か役立つかもしれない」と思い、自分でも調べてみた。
1920年ごろ、精神科医の森田正馬が神経症患者のために創始した日本独自の精神療法だという。
不快な感情を「あるがまま」に受け入れ、日常なすべきことを目的本位に実践して症状を乗り越える――。そんな治療法らしいことはわかった。
後になってだが、森田療法は、中国や欧米の一部でも取り入れられていることを知った。学会もあり、定期的に国際学会を開いている。
すぐには理解できなかったが、何よりも、基本的に薬を使わない、という点に魅力を感じた。当時、薬をのみ続けることに漠然とした不安があったからだ。
主治医に「大丈夫」と言われても子どもへの影響が心配だったし、「薬漬けの精神医療」といった報道も目にしていた。「薬なしでも、強迫神経症は治るんだ」と思うと、明るい気持ちになれた。
父が教えてくれた自助グループ「生活の発見会」(https://hakkenkai.jp/)では、全国各地で体験者による「集談会」という交流・学習会があった。ただ何となく「どんな人たちが集まっているのだろう」という不安があり、実際に行く踏ん切りがつかなかった。
年が明けた。しばらくして、妻が長女を妊娠していることがわかった。「父親としてしっかりしないといけない」という思いが芽生えたからなのだろう。このころ住んでいた名古屋市の集談会に、妻と思い切って顔を出した。97年の6月だった。
会場は、名古屋市近郊の生涯学習センターだった。参加者は20人ぐらいで、男性がやや多かった。年代は幅広く、30代ぐらいの女性が司会を務めていた。
多くは対人恐怖症の人だった。最初、参加者がそれぞれ体験を発表する。「大変なのは自分だけじゃない」。気持ちが少しずつ楽になっていくのを感じた。
経験者の助言、励みに
僕の番になり、ドキドキしながら話した。
【連載】手洗いがやめられない~記者が強迫性障害になって~
この連載では、強迫性障害と長年闘ってきた記者と家族が、どのように病気と向き合ってきたのかを計9回でお伝えします。記事後半では、記者を支えてきた妻の思いも紹介します
「周りのものが汚く見えて…
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連載手洗いがやめられない ~記者が強迫性障害になって~(全9回)
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- 佐藤陽(さとう・よう)朝日新聞文化くらし報道部・be編集記者
- 横浜総局時代に、超高齢化の実態や取り組みを描いた「迫る2025ショック」を2年半連載、『日本で老いて死ぬということ』(朝日新聞出版)として出版した。台湾でも翻訳された。自身の心の病をきっかけにメンタルヘルスの取材も続ける。早稲田大学非常勤講師として「産業社会のメンタルヘルス」の講義を担当する。