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 色と形が溶け合うような画風で知られ、文化勲章も受けた画家・野見山暁治さんが、12月17日に100歳になる。兵役の記憶をどこかに抱き続けながら、一方で伸びやかな筆の運びを見せてきた画家は、コロナ禍の下で何を思うのか。話を聞いた。

 黄色い空と黒い山並みのように見える画面が、みずみずしい。東京都練馬区の天井の高い自宅アトリエで今も大作に挑んでいる。

 「僕は目で見たものしか描かないから抽象画じゃないんだけど、わけの分からない形になって、これを具象といっても無理だろうな。誰もが果物や花と分かる絵を描こうと思っても、こんな風に宙に浮いているようになるんですよ」

 かつて、ある心理学の専門家から「あなたは風景だと言うが、これは胎内で羊水に浮いて見ているものではないか」と指摘されたという。

 「何となくそういう気持ちもしなくもない。海に潜るのも好きだから」

 福岡は筑豊、荒涼たるぼた山を見て育った。そして郷里の川や、母の実家がある福岡市の海で泳ぎ、潜った。今も、福岡県糸島市の海辺にアトリエを構える。4年ほど前まで毎日のように潜っていた。

 絵が好きだった少年は、東京美術学校(現・東京芸術大)で油絵を学んだが、1943年に繰り上げ卒業となり、出征。ソ連国境に近い中国大陸に送り込まれた。「向こう側の塹壕(ざんごう)の穴から銃口が見えた。死ぬんだなって気がした」

 しかし戦地で肺を患い、内地送還され、福岡の病院で終戦を迎えた。戦後はパリ留学を経て画家としての地歩を築いたが、76年から戦没画学生の遺族をたどり、作品を集める活動に協力。長野県上田市の戦没画学生慰霊美術館「無言館」につながる。

 生き残った後ろめたさがあったという。

 「逃げ隠れした気持ちになって…

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