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 テレビの街頭インタビューなどでしばしば登場する東京・新橋。そこに立つ「新橋駅前ビル」「ニュー新橋ビル」を丹念に歩き、「新橋パラダイス 駅前名物ビル残日録」にまとめたライターの村岡俊也さん(42)は神奈川県の鎌倉で生まれ育った。「サラリーマンの街」「観光地」という決めつけへの違和感と、止めようもなく変わっていく街への哀惜が、今回の取材の原動力だったという。

 駆け出し時代から、村岡さんにとって新橋は都心に通う通り道だった。東口の「新橋駅前ビル」は地上9階、地下4階建て(2号館は地下3階)で1966年に完成。西口・SL広場横の「ニュー新橋ビル」は地上11階、地下4階建てで、71年に完成した。高度経済成長期のさなか、戦後の闇市を吸収する形だった。

 ただの風景だった二つのビルが、雑多な魅力を秘めた存在と映るようになったのは約15年前。釣具店を探して「ニュー新橋ビル」に初めて足を踏み入れ、ジューススタンドに金券ショップ、パチンコ店に中国系マッサージ店などがぎっしり並ぶ、猥雑(わいざつ)で好き勝手な雰囲気に魅了された。

 ぶらりと足を運ぶうちに、ビル内には「戦後」と地続きの物語が今も残り、裏路地の長屋のような濃密な人間関係が存在するとわかった。風俗店の店員は自分が患う末期がんを店のブログにつづり、流しの演歌師は駅前ビルの完成直後からこの町で生きてきた。偶然開いていた扉の向こうには小さなフラメンコスタジオがあり、電車通勤のOLらがあでやかに変身して踊っている。フラメンコの先生がビールでのどを潤す地下のスナックには、北京出身のママを慕って新幹線で通う20年来の常連客も……。

 「都市は『きれいに明るく』を目指してきたと思う。でも、人間はここにあるような『湿った部分』に助けられて生きているんじゃないか。ビルの人たちには、そんな人間くささに寄り添う意識を感じました」

 2018年、二つのビルは耐震強度不足が指摘され、再開発の機運が高まっている。「建物が取り壊されて消えた瞬間、こういう庶民史はあっという間に忘れられる。今なら消えてしまう前の一期一会の記憶を文章に記録し、慈しむことができる」。そんな思いで改めて取材を重ねた。いろんな人が寄り集まったビル自体が、一つの有機的な街。そんな印象を伝えたかったという。相手の人生に折り重なった出来事を通じて街の歴史をあぶり出す作業は、「すべてが勉強になりました」。

 鎌倉で幼い頃、前を通るたびにあいさつしていた顔なじみの魚屋さんがあった場所は飲食店になり、新しい客でにぎわっている。店にもメニューにも思い出がこびりついた駅前の喫茶店もこの冬、唐突に閉まった。街はどこも止めようがない大きな流れにさらされ、変わっていく。観光客が出入りする鎌倉は、特に変化が激しいかも知れない。「それがいやなら出て行けばいい。でも今は、消えていく手触りを自分が記録しようと思います。記憶と記録の間のようなことをやっていく」

 文芸春秋刊、税込み1760円。(織井優佳)