畑宗太郎
財布ひとつ届けただけでニュースになるなんて――。ナイジェリアから筑波大学の博士課程に留学しているイケンナ・ウェケさん(38)はそんな戸惑いを抱き続けている。6月に茨城県つくば市内の帰り道で財布を拾い、交番に届けたことが母国の大統領に称賛され、一躍有名人になったからだ。「自分の行為が当たり前のことだと受け止められるようになってほしい」。イケンナさんはこの出来事をきっかけに、正直に生きることの大切さをナイジェリアの若者に伝える活動を始めた。「父の教えが胸にありました」と振り返る。
つくばは大好きな町だ。人口2億人を抱え、農業と石油産業に支えられた西アフリカの国ナイジェリアから移り住んで7年。東京に近いのに広々として緑があふれ、どこかふるさとを思い出させる。外国人が多く、「ガイジン」に対する差別を感じることも少ない。
人生を変えた出来事は、6月19日の夜に起きた。イケンナさんは大学の研究室を出て、いつものようにバスで帰宅する途中だった。午後7時20分ごろ。乗り換えのバスを待つ間、家で待つ妻のアマラさん(31)のためにケバブを買おうとバス停近くの屋台に向かって階段を上った。
二つ目の踊り場に、その財布は落ちていた。少し大ぶりで迷彩色。手に取る前に、念のためスマホで写真を撮った。拾い上げて中を見てみると、多額の現金やクレジットカードが入っていた。「今頃、これを落とした人は困っているに違いない」と気の毒になった。
すぐにバス停前の交番に届けた。対応した警察官は驚いた様子だった。「ナイジェリア人がお金を届けるとは思わなかったんじゃないですか」
イケンナさんは厳格な父のもとで育った。「朝、家を出るときに持っていなかったものは持ち帰らないこと」。父は荷車を押す仕事で7人の子どもを養い、常に他人への思いやりを忘れないよう言い聞かせた。小学生の頃には靴も買えないほど貧しかったが、それでも人の物をとることは決して許さなかった。他人をねたまず、自分の置かれた状況に満足することも父から学んだ。
その父はイケンナさんが11歳…
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朝日新聞国際報道部