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 北の荒々しい海で漁に生きる兄弟の姿を勇壮にうたった演歌「兄弟船」。発売から40年近くたっても根強い人気を持つこの曲には、実は別の歌詞があった。長い時を経て今、そんな秘話が注目を集めつつある。知られざる歌詞に秘められた思いとは。

 「兄弟船」は、星野哲郎作詞、船村徹作曲という演歌の大御所コンビの手で1982年につくられた。船村の内弟子で漁師出身の鳥羽一郎さん(68)のデビュー曲として同年8月に発売。海の男の一体感や心意気を生き生きと伝え、全国の漁師らに支持されて大ヒットした。

 鳥羽さんはこの曲で85年の紅白歌合戦に初出場。20回出た紅白で7度歌った。

 大ヒットする1年前の81年。日刊スポーツ新聞北海道本社(現・北海道日刊スポーツ新聞社)がクラウンレコード(現・日本クラウン)と合同で「第2回北海道のうた歌詞募集」という企画を行った。一般から歌詞を募集し、優れた作品にはプロが曲をつけるというものだ。この企画で佳作に選ばれた歌詞が「兄弟船」だった。

 作者は「木村まさゆき」。現在は札幌市に住む元運送会社員、木村正之さん(78)のペンネームだ。

 木村さんは、北海道標茶(しべちゃ)町の酪農農家の出身。19歳の時、運送会社に就職するため東京に出た。もともと歌の詞をつくるのが好きで、仕事のかたわら、「北海の満月」などを書いた作詞家、松井由利夫に指導を受けた。転勤で札幌に移った後も、さまざまな歌詞コンクールで入賞を果たしてきた。

 つくる詞は、「道東」と呼ばれる故郷の北海道東部の厳しい自然が主なモチーフだ。「北海道のうた」に応募した81年は東西冷戦のさなか。モスクワ五輪を米国などがボイコットした直後だ。道東の海も、北方領土に配備された旧ソ連軍の強化や、四島周辺水域での日本漁船の相次ぐ拿捕(だほ)などで騒然としていた。

 「そうした状況を新聞などで追ううち、北方領土の海と船を素材にすれば、切迫感のあるスケールの大きな詞が書けるのでは、と思ってつくりました」

 木村さんの「兄弟船」にはそんな思いが強く込められている。たとえば1番の出だしで二つの歌詞を比較すると、現在の星野版が「波の谷間に 命の花が ふたつ並んで 咲いている」なのに対し、「はるか国後 船から見える 今日も兄貴と 網を引く」。さらに、3番の終わりを木村さんは「何年たてば あの国後に みんなそろって行けるだろうか きっとおやじもヨー 帰りたいだろな」とした。北方領土・国後島への望郷の念を描いたものだ。

 「日刊スポーツ新聞北海道本社 30年史」などによると、佳作となった木村さんの「兄弟船」には、船村が鳥羽さんのデビュー曲候補の一つとして曲をつけた。ただ、「拿捕などを連想させる。歌謡曲としてはどんなものか」といった意見が出て、「北海道のうた」の審査委員長でもあった星野が、現在の歌詞を改めて書いたという。

 実は二つある「兄弟船」。鳥羽さんも時おり、コンサートやテレビ出演などで「海の歌で骨組みがしっかりしていると思った」という元の詞の「兄弟船」を歌い、このいきさつにも触れている。木村さんは、こうした経緯をほとんど知らず、「鳥羽さんが私の詞でも歌っていると聞き、びっくりです」。

元島民が寄せる期待

 北方領土に強い縁を持つ「兄弟船」。北方四島の元島民や返還運動の関係者らもこの歌に関心を寄せる。

 元島民らでつくる千島歯舞諸島…

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