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 相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月、利用者19人が殺害され、職員を含む26人が重軽傷を負った事件の裁判員裁判が1~3月、横浜地裁であった。公判が始まる1年前の2019年1月から、死刑判決が確定した直後の今年4月にかけて計19回、横浜拘置支所(横浜市港南区)で植松聖(さとし)死刑囚(30)と面会した。

 なぜ事件を起こしたのか尋ねると、「お金がもらえると思った」「障害者は不幸をつくる」などと言いよどむことなく述べた。言葉遣いは驚くほど礼儀正しい。ただ、自身を否定する意見は切り捨てた。

 話す内容には飛躍があり理解できないことが大半だったが、生産性や効率性を軸に、物事を評価、選別していることが強く伝わってきた。そうした考えは植松死刑囚だけのものではない。面会しながら、時代に漂う空気、自分の心と向き合わされているような気がして、気分が重かった。

 公判は1月8日に始まり、全17回、計約48時間30分に及んだ。弁護側は事実関係を争わず、大麻精神病による影響があったと主張し、刑事責任能力の有無、程度が争点となった。

 公判では、幼少期から障害者との接点が多かったこと、やまゆり園に勤務して障害者への偏見を強めたこと、海外の政治家の過激な言動に影響を受けたことなどが明らかになった。

 一方、犠牲者一人ひとりの生前の姿も見えた。

 40歳で亡くなった女性は、自宅でソファにいる家族に後ろから抱きつき、甘えたという。43歳で命を絶たれた男性は、毎年家族とドライブに行っていた。法廷では、この男性の母親の「生まれ変わっても私の息子になってほしい」という言葉が検察側によって読み上げられた。「障害者は不幸をつくる」という植松死刑囚の主張と異なる家族との関係が浮かんだ。

 初公判直前には、事件で亡くなった女性(当時19)の遺族が、女性の名を「美帆さん」と明かした。

 7月、取材で訪ねた美帆さんの母の自宅には、美帆さんの写真や大好きなお菓子が並んでいた。玄関に座り込み、遊びに行きたいと全身で表現したこと、9歳の誕生日に山下公園で風に向かって手を回して喜んだこと。写真を見せながら、思い出をいくつも話してくれた。

 どんな社会になってほしいか尋ねると、「19人を思い浮かべて、差別がちょっとでも少なくなったり、優しい気持ちになってくれたりしたら、美帆ちゃんは喜ぶかな」と話した。思いを伝えたいと、記事を書いた。

 植松死刑囚と文通を続けた社会学者の最首悟さんは、「私たちの心には、いろんな不安や問い、欲望が渦巻き、差別という『とげ』が抜きがたく存在している」と話す。

 事件が投げかけた問いは重く、多岐にわたる。取材を通して、いかに障害のことを知らずに生きてきたのかを痛感した。「ともに生きる」社会とは何か、「とげ」と向き合いながら取材を続けていきたい。(神宮司実玲)

 

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