芳垣文子
「軍国少女」は、戦後民主主義から何を学び、教え子らと何を考えてきたのか――。札幌市の林恒子さん(85)は高校の教職を退いたあと、二度とこの国が戦争を起こさないために、自らの体験を次世代に伝えてきた。コロナ禍に見舞われた戦後75年は終わろうとしているが、語り続ける意志に変わりない。
「もう、あとがない。コロナが収束してからやろうと思っていたが、そんなことしてたら間に合わない、ということでこういう会を持ちました」
9月半ば、JR札幌駅近くの施設であった札幌女性史研究会の公開講座。林さんは50人ほどの聴衆を前に張りのある声で語り始めた。
林さんは同会の前代表を務めた。小学校にあたる太平洋戦争中の国民学校で受けた軍国主義教育、終戦で劇的に変わった民主主義教育を経験し、高校教諭になってから取り組んだ戦争について考える授業について語った。
国民学校では教育勅語を清書し、暗唱した。試験で「大東亜戦争を勝ち抜くためにどうしなければなりませんか」と問われた。「勉強、運動、けんやくにはげんで少しでもお國(くに)の役に立つ」と答案に書くと、大きな○をもらった。
一方、日記には「『けいかいけいはう』が發令(はつれい)されかばんも持たず歸(かえ)って、かいじょになってから取りに行った」ともつづった。
1945(昭和20)年8月1…
残り:894文字/全文:1459文字
【5/11まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら
速報・新着ニュース
あわせて読みたい