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 「同性愛は矯正できる」。米国に住む52歳の男性は、28年間にわたってこのような「セラピー」に携わってきた。ただ、それは偽りだった。性的指向を矯正することなどできないと、いまでははっきりとわかる。自分も同性愛者だから――。

 米国最大規模の「同性愛矯正団体」を創設したマクレー・ゲームさんが昨年、「私は間違っていた。許してほしい」と告白し、注目を集めた。どのような人生を歩み、自らの性的指向といかに向き合ってきたのか。

 ゲームさんは冬になると、ノースカロライナ州シュガーマウンテンのスキー場に住み込み、パトロールの仕事をして稼ぐ。生まれ育ち、今も自宅があるのは、隣接するサウスカロライナ州スパータンバーグ。キリスト教徒が多い、保守色の強いエリアだ。

5歳の頃、姉に嫉妬心

 ずっと、孤独を感じていた。

 5歳の頃、3歳半離れた姉のバレエの衣装を内緒で着てみた。姉に嫉妬心を抱いていた。自分とは対照的に、両親からいつも褒められている。勉強ができて、学校でも人気がある。「姉のような存在になりたい」。そんな動機だった、と思っていた。

 アクセサリーをつけたことがあった。10歳だった。「かっこいい」。自分ではそう思っていたが、母親は同性愛者を侮蔑する言葉を使って「外せ」と怒鳴った。ただ、その言葉が何を意味するのかは、よくわからなかった。

 小学校では男子から「女の子のようだ」と言われ、名前をもじって「マクゲイ」とからかわれた。暴力も振るわれた。11歳のころには、姉の服には執着しなくなったが、自分をいじめる男子になぜか、ひかれるようになった。

 10代半ばには、性的な興味が男性に向かっているとぼんやり自覚した。ただ、高校時代には彼女がいて、キスもセックスもした。「魅力的だとは思わなかったが、性的に反応することはできた」。ゲイについての情報や知識はなく、ロールモデルもいなかった。

22歳で抱いた葛藤

 家を出たのは18歳のとき。通りを挟んで向かいのアパートに一人で暮らすようになった。まもなく、39歳の男性と初めて性的な関係を持った。一度、母親がノックをせずにアパートへ入り、情事を目撃された時には再び怒鳴られた。それを知った父は「バイセクシュアルなら許せるが、同性愛は認めない」と言った。

 19歳のときには、親友にカミングアウトした。彼やその家族は受け止めてくれ、一緒に海や森に行った。それから22歳まで、ゲイとして生きることができた。パートナーもでき、一緒に住むつもりだった。ところが、その彼が殺人罪で禁錮8年の実刑判決を受け、服役することになった。

 22歳で、キリスト教福音派の信徒になった。「一人になりたくない」と、いろんな男性と一晩限りの関係を持っていた頃のことだ。「間違っていると頭ではわかっていたが、体は違うことを求めた」。同性愛者であることに、葛藤があった。

 当時は造園会社を経営しており、同業者から教会に行くことを勧められた。「神を受け入れる」という行為に感激し、心が軽くなったような気がした。それと同時に、「ゲイであることと、キリスト教徒であることは両立できない」とも考えるようになった。ゲイの友人との連絡を絶ち、刑務所にいるパートナーは、訪問することも、手紙を書くこともやめた。

「同性愛矯正」のセラピーの道へ

 「コンバージョンセラピー」をラジオ広告で知ったのは、その数カ月後だった。会合に顔を出し、セラピーを受けるようになり、ほどなくして自らもセラピーを行う組織の一員になった。

 「コンバージョンセラピー」は「転向療法」などと訳される。同性愛は誤っており、「矯正」することが可能だとして、「直そう」という考えだ。

 かつては電気ショック療法やホ…

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