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 1989年6月の天安門事件で日本大使館が直面したのは、3千~4千人の北京の在留邦人の安全をいかに守るかだった。中島敏次郎大使が外相に宛てた報告書「当館が行った邦人救援活動」に緊迫したやり取りが残されている。今月23日に公開された外交文書から振り返る。

 「午後3時に軍が学園に突入する」。1989年6月5日、北京師範大学に取り残された留学生が大使館にそんな情報を伝え、救助を求めてきた。「中国人学生はいつの間にかいなくなり、残っているのは日本人のみ」と留学生は説明。前日に天安門広場のデモ隊が軍に弾圧されて以降、バス、地下鉄、タクシーなどの交通機関は止まり、移動手段が奪われていた。

 大使館のある北京市中心部でも断続的に銃声が響いていた。大使館のマイクロバスの運転手が当局から勤務を禁じられるなど困難を極める中、先陣を切って乗用車で大学に向かったのは2人の大使館員。1時間後には運転手を説得して現場に行かせ、「47人を安全なホテルへ移した」。

 留学生からの軍突入情報は後でデマだとわかった。情報が乏しく移動手段も奪われていた市民はパニックに陥っていた。大使館に救助要請が殺到していたが、出勤を拒む運転手の説得や在留届を出していない学生の所在確認に手間取り、「特に緊急性のあった大学からの救助要請に応ずるのが精いっぱいの状況であった」。

 「脱出したいが、軍がビルを包…

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