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 アルシュ・サミットを乗り切り、「模様ながめ」だった日中関係が動き出す。

 「少しずつ始めたらどうか」。1989年11月、北京の人民大会堂。斎藤英四郎経団連会長ら訪中団と会談していた李鵬首相は、天安門事件が起きた6月に凍結された円借款事業に話が及ぶと、そう切り出した。

 同席の日本大使館幹部らによる報告書には、李氏が中国の事務方の顔を見つつ「日本の立場を配慮した慎重な話し方をした」とある。本心を探ろうと表情の変化まで細かく伝える。

 数日前に鄧小平氏が引退。江沢民氏が共産党に加え軍のトップに座っていた。円借款事業から商機を広げようと中国へ進出していた日本経済界の首脳らは、天安門事件後で初めての公式訪中で、新指導部と連携し第3次円借款の凍結解除へ日本政府を促そうとしていた。

 そもそも日本の対中ODAは、79年に訪中した大平正芳首相が近代化支援を約束して開始。数年で中国は日本の最大の援助先になった。88年には中国が受け取る二国間援助の半分以上を日本が占め、額で2位のフランスの5倍。訪中団からは「第3次円借款の推進を中国政府から日本政府に強く言ってもらいたい」と前のめりの発言も出た。

 だが李氏は日本が目立たぬよう「少しずつ」と語っていた。「色々試してみるとよい」と笑みをたたえ、「日本(政府)から調査団を派遣すれば円借款実行に大きな影響を与えずに済む」と水を向けた。すでに政府間で探り合っていた。

■北京の戒厳令が解除 「待つの…

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