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 中国で民主化運動が武力弾圧された1989年の天安門事件が起きた時、日本は中国を大きく上回る経済大国だった。「アジアの代表」として中国の発展を支え、国際協調を促そうとした元外交官の松浦晃一郎さんに聞いた。

 天安門事件前年の1988年に竹下登首相が訪中して表明した、政府の途上国援助(ODA)の第3次円借款を外務省経済協力局長として担当しました。事前調整で中国は環境問題を重視していたので、ODAの別の柱である無償資金協力の対象事業に加えました。鄧小平氏は日本の支援に感謝していました。

 大平内閣の第1次、中曽根内閣の第2次の円借款にも関わり、対象事業を湾岸から、発展が遅れている内陸のインフラへ広げた。改革・開放を進める中国を作り上げ提携すれば、国際社会にも日本にもプラスになると考えました。

 ところが89年6月に天安門事件が起き、非常に難しい局面になった。私は「事件は批判すべきだが、経済制裁はすべきでない」と省内の会議で主張しました。第3次円借款は事業の具体的な検討開始が延期され、凍結と報じられました。

 欧米とともに事件を非難した仏アルシュ・サミット後、第3次円借款の実施に期待する日本の経済団体が次々と訪中したことは応援になりました。円借款事業の受注を機に日本企業が中国に展開して経済関係が強まれば、政治関係も良くなる。鄧氏や李鵬首相は理解がありました。

 89年秋ごろから、第3次円借…

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