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 国営諫早湾干拓事業(長崎県)の堤防排水門の開門を命じた福岡高裁の判決が確定してから、21日で10年となった。有明海特産の二枚貝「タイラギ」は、堤防閉め切り後、不漁が続く魚種の一つだ。先月には、9季連続の休漁が決まった。地元漁師たちは、「潜り」の技術を次世代に引き継ぐことができずにいる。

 船の甲板には、タイラギがあふれていた。佐賀県太良町の大鋸長司(おおがたけし)さん(54)は、小学生の頃から、冬休みは父親の手伝いで海に出ていた。母親たちが貝から身を取り出し、子どもたちは貝柱とビラ(ヒモ)とを分ける。船の上で作業しないと間に合わないほど、当時は豊漁だった。

 17歳で潜水士の免許を取り、タイラギ漁師になった。潜れば海底には、口の部分だけを出して立つ貝が、辺り一面に見えた。当時の有明海は、6~7年の周期で漁獲が変動したが、少ない年でも、漁師として食べていけるだけの量は取れていたという。

 大鋸さんは27歳ごろから、出稼ぎで瀬戸内海にも通う生活を始め、40歳ごろまで続けた。その間、有明海には異変が起きた。赤潮や貧酸素水塊が、頻繁に起きるようになった。1997年に堤防が閉め切られて以降は、タイラギの漁獲が激減。99年からは、断続的な休漁状態になった。

 2009年、突如タイラギが大量にわき、地元は久々の豊漁に活気づいた。大鋸さんは、当時高校生だった長男を連れて、船を出した。妻や長男らの手伝いで潜水服を着る姿、甲板を埋めるタイラギと笑顔を見せる長男――。当時の写真は、今も額縁に入れて飾っている。息子に本格的な漁を見せるのは、この時が初めてだった。

 豊漁は数年続くかと思われたが、翌10年夏、猛暑の影響などで、残っていた成貝が大量死した。その後12年から現在まで、休漁が続く。「結局人間がだめにしてしまいよっと」。諫早湾干拓事業の影響は「歴然だ」と憤りを隠さない。

 長男は4年ほど前、地元に戻り、コハダやシバエビをとる漁を始めた。有明海では漁獲が見込めず、熊本県沖まで船を出す。時間も燃料代もかかるうえ、何もとれずに帰ってくる日もあるという。生業としての安定にはほど遠い。

 潜りの技術を、長男に教えたい思いはないのか。尋ねると、「漁は自分でやって、体で覚えるもの。陸(おか)の上で教えるわけにいかない」。タイラギが再びわいたら。その希望は、持てずにいる。(福井万穂)

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