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 外務省が23日に公開した外交文書では、昭和天皇の「大喪の礼」(1989年2月)のために来日した各国のVIPが、当時の竹下登首相や宇野宗佑外相と次々に会談する様子が記されていた。その数は100回を超え、「弔問外交」とも称された。だが、そのあとを継いだ上皇さまは葬儀を簡素化したい意向を示し、国の行事である大喪の礼も変質していく可能性がある。専門家は、当時のような外交の慌ただしさは「後にも先にもないのではないか」とみる。

 大喪の礼には164カ国が招待され、各国から首脳、外相らが参列。竹下首相と宇野外相は同月22~26日の5日間で、のべ114カ国と国連など5機構を相手に会談をこなした。

 これらに関する文書はA4判で千枚を超え、入れ代わり立ち代わり訪れる首脳らとの15分ほどの会談を繰り返していたことがうかがえる。準備も大変だったようで、たとえばブッシュ(父)米大統領との会談前後の文書は544枚に及び、大統領を「ジョージ」と呼ぶかなど細部にこだわるなど当日までに準備資料を10回以上改訂していた。

 外交文書に詳しい波多野澄雄・筑波大名誉教授(日本政治外交史)は「明治、大正の天皇の逝去時と比べ異例の弔問外交だ。様々な要素が絡んで日本への注目は高かった」という。大喪の礼に各国要人が集まった理由として、交通手段の発達や終戦後の日本の国交増加に加え、①天皇の歴史的存在感②経済大国日本への援助要請③天皇の病状悪化で前年秋から外交が止まっていた――の3点を挙げた。

大喪の礼「簡素化の流れ」専門家指摘

 「過去だけでなく、未来にもま…

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