拡大する写真・図版自宅で体験を語る萩原敏雄さん=2020年11月13日、大阪府東大阪市、武田肇撮影

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 戦時中の空襲や沖縄戦で多くの民間人が命を落とし、傷を負いました。身体障がいや精神の疾患が残った人、肉親を失った人も少なくありませんが、国は75年たった今も法的な救済をしていません。怒り、悲しみ、失望――。当事者の思いを4回にわたって報告します。

左足失った萩原敏雄さん(87)

 11月半ば。大阪府東大阪市の自宅を訪ねた記者に、萩原敏雄さん(87)は義足を外し、ひざまでしかない左足を見せた。

 「自分のような人生を、もう誰にも送ってほしくありません」

 隠し続けてきた傷を、カメラの前にさらしたのは初めてだという。切断部を覆う肉は擦れて紫色になり、その上の太ももは退化したように細くなっていた。

 万年床となった自宅5畳間で、萩原さんは、我慢とあきらめのなかで過ごしてきた戦後75年を語った。

拡大する写真・図版自宅で義足を外した萩原敏雄さん=2020年11月13日、大阪府東大阪市、武田肇撮影

 広島に原爆が投下されて約4時間後、1945年8月6日正午過ぎ。ふるさとの宮崎県都城市を米軍機が襲った。萩原さんは12歳だった。

 警戒警報が空襲警報に変わり、7歳の弟と、とっさにかやぶき屋根の農家の納戸に逃げ込んだ。

 パリパリパリ。

 米軍機グラマンが大きな音を立…

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