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 米中ロや台湾、香港など太平洋を囲む21カ国・地域が参加する国際会議に発展したアジア太平洋経済協力会議(APEC)。その発足は1989年末の冷戦終結直前にさかのぼる。創設メンバーとして日本が加わるまでの、外務省と通産省(今の経産省)による首相まで巻き込んだ激しい主導権争いが、外務省が23日に公開した外交文書で明らかになった。

「通産省構想をつぶせ」

 APECのもとの構想は89年1月にホーク豪首相が提案し、2月に竹下登首相に書簡で協力を要請。日本に続き80年代に韓国や台湾などが工業製品輸出で急成長し、米国との貿易摩擦が深刻になる中、アジア太平洋の国々で調整する場を設けようというものだった。

 これに通産省が呼応し、通産相が参加する「アジア太平洋貿易産業相会議」の実現へ各国に打診を開始。こうした動きを外務省は拙速とみた。東南アジア諸国連合(ASEAN)が大国主導と警戒しかねないなどとし、「アジア太平洋協力問題」と呼んで対抗。両省のバトルが始まった。

 公開文書によると、外務省は2月に各局横断の態勢を整備。20日の中堅幹部会議に参加した在豪大使館員は「通産省の構想をつぶすよう訓令を受けているが、なぜつぶすのか。外務省として基本方針を打ち出してほしい」と訴えた。

 竹下氏からホーク氏にどう答え…

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