第2回 ウルトラマンの贈りもの 古谷敏の半生
昔は「スーツアクター」なんて格好いい言い方はなかったなあ。「ぬいぐるみ役者」なんて言われたりしてね。でも海外ではとても評価が高い。何度か招かれてトークショーやサイン会をしてきたのですが、「会えて夢のようです」なんてとても喜ばれるのです。
日本も変わりました。コロナで今年は中止のものもありましたが、かつてウルトラマンやセブンに胸を熱くした中高年の皆さんが子どものように目を輝かせてイベント会場にやってくるのです。
1966年1月に放送が始まった「ウルトラQ」(TBS)を思い出します。怪獣たちが社会を混乱と恐怖に陥れる、1話完結式SFドラマでしたが、第19話(同年5月)に宇宙人役で出たのです。
特撮テレビヒーローの金字塔「ウルトラマン」シリーズが、1966年に放送開始されてから、2021年でちょうど55年を迎える。昭和、平成、令和の3つの時代を駆け抜ける人気シリーズだ。初代ウルトラマンを演じたスーツアクター、古谷敏さんは、数々の怪獣や宇宙人を相手に、鮮やかな必殺技を決め、お茶の間の子供たちを魅了してきた。古谷さんに舞台裏を聞いた。
――タイトルは「2020年の挑戦」。年齢500歳というケムール人が肉体の衰えを防ぐために若い地球人を誘拐し、2020年の未来に送るという話でした。
全身がゴムで締め付けられているような感じで、息があまりできなかったのを覚えています。それにしても2020年なんて遠い未来、と思っていたのですが、実際にその年がやってきて不思議な気持ちです。しかもコロナ禍で世界中が先行きが全く不透明な時代に向き合ってしまいました。
――安定しているかに見える社会が、怪獣や異星人という不条理の介入で秩序が崩壊する。「ウルトラQ」が暗示していた世界が現実になったようですね。
「ウルトラQ」が訴えたのは、自然と文明との調和、バランスの必要性ではないでしょうか。怪獣たちが問いかけるテーマは深く、重い。いまこそ、もう一度見てほしい作品だと思っています。
――ご出身は東京ですか。
東京の港区に「有栖川宮記念公園」という公園がありますね。江戸時代、盛岡南部藩の下屋敷があった場所です。その近くの西麻布で生まれ育ちました。実家は建具屋で僕は五男でした。
遊ぶところはたくさんありました。お寺の境内では夜になると大きな白い布を張って映画の上映会が開かれ、よく見に行きました。時々、風で布が揺れるんです。青山墓地も遊び場でした。高台からは米軍が接収した土地が見えるのです。大きなプールで子どもや大人がカラフルな水着で遊んでいるのがうらやましかったなあ。
――中学卒業後は東宝芸能学校に。1960(昭和35)年、東宝撮影所に第15期ニューフェースで入社しました。宝田明さんや石原裕次郎さんに憧れたそうですね。
いろいろな映画にチョイ役で出演しました。150本くらいにはなったのかなあ。僕がいた部屋は撮影所2階の8号室。16畳くらいあり、一番広かった。なので「大部屋俳優」などと呼ばれていたけれど、一生懸命勉強して、ここから羽ばたきたいと思っていました。そんなある日、意外なところから声が掛かったんです。
――テレビ番組「ウルトラQ」(66年1~7月)に出てきた宇宙人ケムール人の役ですね。身長181センチ、やせ形、頭が小さく8頭身。当時としては日本人離れした体形がスタッフや関係者の目に留まったとか。
「こんなの入るの嫌だよ」と言って抗議した記憶があります。僕はぬいぐるみ役者じゃないし、まだ22歳です。恥ずかしかった。でもスタッフから「撮影の時間が迫っているし、頼むよ。俺の顔、立ててよ」としつこく説得され、最後は根負けしてしまいました。
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