[PR]

 日本プロサッカー選手会の会長を務めるJ1鳥栖のMF高橋秀人(33)が、8月に発生したクラスター(感染者集団)で、自身が新型コロナウイルスに感染し、サッカーに復帰するまでの体験を朝日新聞社のインタビューで語った。当初は鳥栖の判断で匿名だったが、1カ月続いた後遺症や復帰過程のけがのリスク、心の問題など、体験を伝えたいという思いから取材に応じた。

 ――感染を知った時の様子や心境を教えてください。

 8月12日の昼過ぎごろ、自宅でクラブのトレーナーから電話がありました。数日前に受けたPCR検査の判定で、可能性の段階で陽性になったから、家族も含めて外部との接触を絶って欲しい、と。その時点で症状はなく、偽陽性もあるので大丈夫だろうと楽観的だったんですが、夕方くらいから熱が上がって、夜には39度4分。おでこに当てる体温計で20回も30回も測り直しましたが、何度測っても39度4分で、これはコロナだと受け入れました。

 その時になって、8月8日の鹿島戦の後、熱中症のような疲労感があったことを思い出しましたが、(コロナだとは)見分けはつきませんでした。

 なかなか保健所と連絡が取れず、病院やホテルの空きも見つからず、焦りや不安が膨らんでいきました。結局、自宅隔離になり、家族も外へ出られなくなりました。妻の友人が買い物をしてくれたり、食べ物を作って届けたりしてくれました。感謝してもしきれません。

 3日後からホテル生活が始まりました。3食ともお弁当で、小さな窓しかない狭い空間。サッカーのことを考えるどころではなくなりました。熱はホテルに移ってから37度くらいに落ち着きましたが、死ぬかもしれないという思いで、保険に入っていた生命保険会社に電話をして、自分が死んだ場合の相談をしました。

 ――不安の理由は?

 隔離されたホテルに常駐している看護師は1人で、異変があったら連絡するという仕組みでした。医療的な相談に乗ってくれるとか、今後の見通しを説明してくれるとかはなく、先が見えませんでした。

 家に戻って、アスリートとして復帰する段階に進んでも、どこまで体調が回復したら練習していいのかわからず、それでもやるしかない状況でした。

 帰宅したのは8月22日。まず生活を元に戻しながら、練習はジョギングをしたり子どもとボールをけったりするぐらい。9月2日から練習場に戻りました。感染から復帰してすぐに練習できる選手もいましたが、僕の場合は手のしびれ、倦怠(けんたい)感、頭痛がひどく、別メニューに切り替えました。

 感染しても抗体ができない場合もあるという話もあって、集団活動をするなかで、またコロナにかかったら、そしてだれか他の選手にうつしてしまったら、あの苦しい目に遭わせることになる。そう思うと、サッカーができない気持ちになりました。走れないし、サッカーもしたくない。このままフェードアウトしていく感覚が怖かった。アリ地獄のようにメンタルがやられました。

 不安の連鎖は、期待に応えることを求められるプロアスリートだからこそ陥りやすいと思います。

 ――それでも9月16日の札幌戦で復帰しました。

 チームの練習に入れたのは9月13日。サッカーの楽しさを取り戻すことで、僕の不安を緩和できるんじゃないかと監督は言ってくれました。でも札幌戦に出ると聞いたときには「こんな状態で大丈夫か」という気持ちでした。

 ――試合では?

 全然ダメでした。監督には「90分は絶対もたない」と伝えてあって、ハーフタイムには、自分の体力とパフォーマンスのことを考えて「限界は近い」と伝えました。後半も途中まで出ましたが、自分のミスで失点して負け。心と体に不安を残してプレーしたことを責めました。でもここでまた練習をやめたら、戻って来られないんじゃないかと思ってがんばりました。

 サポーターの前でサッカーができたことは大きかったと思います。自分がだれかに必要とされていることが感じられ、不安な気持ちが切り離されました。

 ――その後の回復は?

 次の試合は出ず、23日の神戸戦に出て、27日のFC東京戦では、相手と絡んで転倒したときにひじを脱臼しました。身のこなしとか、予測だとか、試合をするためのいろいろなコンディションが上がっていなかったこととの因果関係はあったと思います。

 コンディションが万全でないのに試合に出させてもらったからメンタル面は回復しました。でも、万全でないのに試合に出たせいでけがをしてしまった。評価は難しいところです。

 ――新型コロナウイルスから競技に復帰する上で、注意するべき点は?

 一つは体力測定のデータを復帰の過程で活用することです。どこまで体力が回復したのかを可視化して、復帰の判断をするべきです。目の前の試合に必要な選手を出したくなる状況でも、データに基づいて試合に出られる状態なのかを見極めるべきだと思います。

 目安になる復帰プログラムもあれば役に立ちます。後遺症などの個人差があるので、回復の早い選手はプログラムが足かせになるかも知れませんが、後遺症が重く、コンディション不良でけがをした僕の立場では欲しかった。

 ――練習や試合で感染リスクにさらされる選手が、感染して収入が減ることに関してはいかがですか。

 試合に出なくても基本給はありますが、勝利給など変動給はもらえません。出場時間は契約更改時の査定にも響きます。難しいかもしれませんが、なんとかならないかという思いはあります。

 感染リスクをゼロにしないと試合をしないということにすると、クラブは収入源を断たれてしまうので、JリーグはPCR検査の2週間に1度の実施を導入して、リスクを制御しながら試合を再開しました。今季を完結させるというJリーグの方針には選手会も納得しています。

 ――名乗り出て体験を語る理由を教えてください。

 当時は今より情報が少なく、一部に偏見がありました。鳥栖の竹原稔社長の選手を中傷から守る判断には敬意を表します。今回、公表することは伝えました。

 実名で取材を受けるのは、一定の対策をして感染してしまった人を許容する社会になって欲しいと思うから。自分の体験を話せると、ネガティブな気持ちが緩和されます。僕の経験はJリーグにも伝えました。情報が共有され、万が一クラスターが発生したときの対応や、感染してしまった後の復帰のプロセスが、より適切になっていくことを望んでいます。(聞き手・構成=忠鉢信一)

 たかはし・ひでと 群馬県出身。ミッドフィールダー。東京学芸大から2010年、FC東京へ入団。神戸を経て、18年から鳥栖。J1通算235試合出場、15得点。日本代表出場7試合。妻(33)と3人の子ども(5歳、3歳、0歳)の5人家族。