【動画】1964年東京パラリンピックに出場した近藤秀夫さん=加藤秀彬撮影
[PR]

 1964(昭和39)年の東京パラリンピックは終わっても、障害者が生きる社会環境はすぐには変わらない。車いすバスケットボールなどの選手として出場した近藤秀夫さん(85)=高知県安芸市=はそう感じ、障害者運動に関わっていく。東京都町田市の職員となり、「日本初の車いす公務員」と呼ばれ、障害当事者ならではの視点で市政を大きく動かしていく。

拡大する写真・図版「1964年の東京パラリンピックが人生の窓を開いた」と語る近藤秀夫さん=2020年9月、高知県安芸市、加藤秀彬撮影

 こんどう・ひでお 1935年、岡山県真庭市生まれ。64年の東京パラリンピックで、車いすバスケットボール、アーチェリー、陸上競技などに出場した。大会後、車いすバスケのチームや精密機器会社などを経て、74年、東京都町田市の職員となり、ケースワーカーを担当した。定年後の2007年に高知県安芸市に移住。11年にNPO法人障害者自立生活センター「土佐の太平洋高気圧」を設立し、現在、副理事長。

階段だけ 体育館に入れない

 僕は東京パラリンピックの後、民間企業で働く一方で「東京スポーツ愛好クラブ」という車いすバスケのチームでも活動しました。ここで、大きな問題に直面しました。

 練習をしようと新宿の体育館を借りたのですが、入り口が階段で車いすでは入ることができません。別の施設では、コートにタイヤの跡が付くと断られたこともあります。僕たちは東京都庁に出向き、入り口にスロープを付けるように訴え始めました。これが僕の障害者運動の始まりでした。

 車いす用のトイレを造ってほしいと、日本橋の駅前でマイクも握りました。通りがかりのおじさんから「おまえの言うことも分かるけど、もっとお金が必要な場所がある。数少ない障害者のためだけにトイレができると思っているのか」と罵声を浴びました。

その後、近藤さんは町田市職員になります。デパートには車いすでたどり着けないトイレ、高すぎる洗面台。記事後半では、街を変えるための取り組みや、パラリンピックから得たものについて語ります。

 73年には、朝日新聞厚生文化…

この記事は有料会員記事有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

この記事は有料会員記事有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。