拡大する写真・図版田中克彦さん

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 差別は、言葉なくしては生まれません。言葉には、混沌(こんとん)とした、つかみどころのないものに「刻み目」を入れて分類する働きがあります。たとえば、虹の色はそれぞれの境目には区切りはないのに「7色」ということにされている。学者が決め、教科書に載っているからです。こうした単純な分類は熟慮する必要がなく、人々が受け入れやすい面があります。

 人間の「分類」はもっと分かりやすい。「あっち」と「こっち」の二つに分け、自分の都合の悪いグループに焼き印を押す。その焼き印は一生、時には子孫まで消えることなくついてまわる。「ユダヤ人」「在日朝鮮人」は、そういう目にあってきたのです。

 相手と自分を分ける線引きには、2種類あります。一つは、全く理解できないもの。こういうものに対しては、人は案外寛容です。理由は「敵」にならないから。「あっち側」と「こっち側」ではなく、全く別の物なのです。

 1934年生まれ。一橋大名誉教授。代表的な著書に「ことばと国家」「差別語からはいる言語学入門」など。

 ところが、ちょっとでも理解できるものに対しては、小さな差異であっても徹底的に見逃しません。自分たちを正統な「こっち側」に、相手を劣った「あっち側」に位置づけているのは、同じ序列の中にある「敵」に優劣を付けるためだと考えられます。

 こうした線引きには、世代性も…

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