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 終戦直後に創業した熊本市中央区の老舗和菓子店「名代ばんざい饅頭(まんじゅう)本舗」が25日、75年の歴史に幕を閉じた。戦後復興から現在に至るまで、地域とともにあった味。営業最終日には常連客たちが和菓子を買い求め、閉店を惜しんだ。

 「長い間ありがとうございました」「お世話になりました」

 店主の山口光江さん(73)は25日、団子にきな粉をまぶしたり、餅を丸めたりしながら、買い物客にお礼を言い続けた。この日は午前6時ごろから、店の軒先に置いたせいろでまんじゅうを蒸し始めた。次々に客が訪れ、ガラスケースに和菓子を並べる暇もない。

 常連の一人で近くに住む黒田博子さん(69)は24日夜に甘酒饅頭とやぶれ饅頭を計30個注文した。手土産によく買っていたという。「ここは味がよくて。閉店するのは寂しい」。25日昼には大西一史・熊本市長もプライベートで駆けつけた。「二十数年お世話になった。コロナ禍でみんなの気持ちが穏やかでないときでも、甘いものを食べると幸せになる。職員と味わって、私も頑張ろうと思う」

 店は山口さんの義父、安喜さん(故人)が中国・南京から引き揚げた終戦後、現在の地に創業した。屋号の由来はそばの坪井川にかかる万歳橋。安喜さんが51歳で急死すると、大阪で修業していた長男の浩司さんが24歳の若さで継いだ。

 山口さんは知人を介して浩司さんと知り合い、1974年に結婚。哲司さん(44)と恭司さん(40)の2男に恵まれた。

 夫の浩司さんは仕事に厳しかったという。あっさりした甘さを好む嗜好(しこう)の変化に合わせて味を追求。カステラ生地で餅をくるむ「若鮎(わかあゆ)」は、餅の研究を重ねて店の看板商品になった。タイを模した縁起物の砂糖菓子「大鯛(おおだい)」は高度な技が必要で、「熊本で作れる最後の職人だったのでは」と山口さんは振り返る。

 浩司さんは2012年に69歳で亡くなった。山口さんは2人の息子たちに手伝ってもらいながら営業を続けた。しかし16年の熊本地震で、店と近くにある自宅が被災。店の一部が使えなくなり、「若鮎」の製造を諦めざるを得なかった。

 2年ほど前には、右肩を痛めて入院し、せいろなどを持ち上げるのも苦労するように。体力の限界を感じるようになった。被災した自宅もちょうど再建した。ここが潮時と考え、今月7日、店頭に閉店を告げる貼り紙を掲げた。

 最終日の25日が近づくにつれて、8畳ほどの小さな売り場は、長年の労をねぎらう客からの花や差し入れでいっぱいになった。25日はこれまで午後7時としていた閉店時間の間際まで客足が途絶えなかった。

 「こんなに店のことを思ってくれていたんだと感激した。感謝、感謝です」(山田菜の花)

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