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 「夜の街」を避けて、「自粛警察」におびえる――。私たちがコロナ禍で恐れているのは、ウイルスよりも「世間」かもしれない。そもそも「世間」の正体とはいったい、どういうものなのか。九州工業大学名誉教授で、世間学が専門の佐藤直樹さんに聞いた。

 さとう・なおき 1951年、仙台市生まれ。評論家。近著の『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』(鴻上尚史さんとの共著、講談社現代新書)が話題に。

 ――隣近所に白い目でみられる、という感覚の「世間」は、本来は場所に根ざしたことばですよね。家が一軒あったら、向こう三軒両隣というような

 わりと具体的なものだったということですね。「世間」ということば自体には千年以上の歴史があって、万葉集のなかでも使われています。私は「世間」の歴史を考えるとき、近代以前と以降とを分けて考える必要があると思っています。近代以前には「渡る世間に鬼はなし」ということわざがあるように、「世間」ということばは、いい意味でも使われていた。それは場所的な世間、お互いに顔が見える世間を指していたのではないか。江戸時代は基本的に身分制ですから、非常に厳しい階級制度のなかで、人々の助け合いみたいな意味があったのでしょう。もちろん村八分のようなこともあったけれども、万葉の時代から江戸時代ぐらいまでは、わりと価値中立的に使われていたようです。

 それが、「渡る世間は鬼ばかり」(1990年~)というドラマのタイトルが示すようなネガティブな使われ方に変わってきた。そういう世間に変わったんです。それは、世間が場所に根ざすものではなくて、バーチャルなものになってきたということです。たとえば、「世間様」とかいうような、あたかも人格があるようなものとして世間が立ち現れてくる。場所的なものに根ざす世間は、都市化とともに核家族化や近所付き合いの減少が進んで解体されていく。そうすると、田舎の世間はいつまでも残っていて、都会は世間が薄れてくる。普通はそう考えるけれども、バーチャルな世間というのは、おそらくあまり変わらない。しかも、世間はバーチャル化したために、よりいっそう同調圧力を生むようになった。

 ――それはつまり、「世間」が内面化されたということですか

 そうです。ものすごく大雑把に言うと、ここ20年ぐらいでグローバル化があって、新自由主義が入ってきて、成果主義でみんなが競争させられる。格差が拡大していって、「ねたみ・そねみ・ひがみ・やっかみ」みたいなものが強まっていく。私は1998年ぐらいがターニングポイントになっていると思うんですが、この年に自殺者が3万人台になる。一方で厳罰化があり、死刑の宣告件数や執行数が増えていって、量刑の相場が上がってくる。世間が息苦しくなっていく時代は98年あたりをターニングポイントにして、2000年代に入るとはっきりと出てくる。キーワードは「空気」だと思いますね。「世間」が暴走することによって、「空気」が肥大化した。「KY(空気が読めない)」が新語・流行語大賞にノミネートされたのが07年です。

 ――並行して、インターネットの普及もありますね

 誰でも自由に発信できるようになった。それで新しい「社会」ができるかと思ったら、結局はネットの中でも「世間」を作ってしまった。『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』(鴻上尚史さんとの共著、講談社現代新書)にも書きましたが、SNSの最初のSはソーシャルじゃなくてセケンにしないといけない。実名で発言するとたたかれるから、匿名で初めて本音が言えるというのは、まさに世間の同調圧力を受けるからです。だからSNSの匿名率は、日本は世界でいちばん高い。「旅の恥はかき捨て」といいますが、誰しも隣近所とか会社とかも含めて、自分の顔が見える世間のなかではルールを守って「いい人」でいる。ところが、インターネットというバーチャルな世間のなかでは顔が見えないから傍若無人になって、悪口雑言ばかりになる。

 ――「世間」は日本固有の概念なのですか

 世間的な人間関係は、昔はおそ…

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