【動画】スクランブル任務「引退」のF4戦闘機、2021年春まで岐阜の空を飛ぶ=土居貴輝、諫山卓弥撮影
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 「ファントム」(幻、お化け)の愛称で親しまれてきた航空自衛隊のF4戦闘機が12月、退役した。日本の領空に近づく外国軍機や国籍不明機への警戒にあたる戦闘機部隊のうち、唯一のF4部隊となっていた「第301飛行隊」が百里基地(茨城県)から三沢基地(青森県)へ移転するのに伴ってF4の運用を終えたためだ。

 F4を運用する部隊として最後の第301飛行隊長を務めた岩木三四郎2等空佐は「最後の飛行隊を率いたことを光栄に思っています」と書面で感想を寄せた。

 空自の戦闘機のなかで、通信ネットワークや電子装備が充実しているF15やF2が「第4世代」と分類されるのに対し、F4は米国開発の「第3世代」の戦闘機だ。

 各国の空軍で採用され、生産総数は約5200機にのぼる。米軍はベトナム戦争にもF4を投入した。日本では1968年に機種選定され、空自は140機を導入。三菱重工業がライセンス生産を担当した。

 空自トップで自身もF4パイロットの井筒俊司・航空幕僚長は記者会見で「(空自の戦闘機として)単一機種で最も長い期間(運用されたの)ではないか。防空能力、対艦・対地能力を発揮してきた機体」と話した。

 第301飛行隊はF4を運用する最初の飛行隊として、73年に百里基地で編成された。85年に新田原基地(宮崎県)に移動したが、2016年に百里基地へ戻った。12月15日、F4のすべての運用を終えて三沢基地に移転。新たに、最新鋭ステルス戦闘機F35Aを運用する飛行隊として改編された。

 岩木2佐は、F4の総飛行時間約3千時間で、生粋の「F4ライダー」だ。書面を通じた朝日新聞の取材に対し「多くの先輩方のしんがりとして飛行隊長に就任し、無事にF35Aへとバトンをつなぐ重い使命を常に感じながら勤務してきた。F4は空自における私のパイロット人生のすべて。ファイターパイロット人生をF4だけで歩み、最後の飛行隊を率いたことを光栄に思っています」と答えた。

 緊急発進(スクランブル)の任務を担当するすべてのF4が退役した一方、空自の装備品の試験を担当する飛行開発実験団(岐阜基地)に配備されているF4の飛行は21年3月まで続けられるという。同基地周辺には、退役を惜しむ「F4ファン」がカメラを手に訪れているという。(土居貴輝)

F4とはどんな戦闘機だったのか。記事の後半では、F4とともに歩んできた自衛官が、その魅力を語ります。

ベトナム戦争の教訓生かした戦闘機

 導入から半世紀にわたって日本の空を守ってきたF4戦闘機。元F4パイロットで元空自航空支援集団司令官(空将)の織田邦男氏(68)に、F4の導入が空自の運用や米軍との連携、その後の戦闘機の整備に与えた影響について聞いた。

 ――織田さんにとって、F4戦闘機とともに歩んだ自衛官人生と伺いました。

 「国防会議で空自へのF4の導入が決まったのが1969年。翌70年に防衛大学校に入った。(卒業後、航空自衛官として任官する予定の)航空要員になり、74年に卒業した時にはF4の飛行隊が編成されていた。その後、F4のパイロットとなり、長くスクランブル任務につき、飛行隊長も経験した。2009年に退官するときもF4は現役。戦闘機の一般的な運用期間から考えればパイロットは戦闘機の生まれと終わりをみとるものだが、逆にF4にみとられて退官した」

 ――F4に指名されたときの心境は。

 「戦闘機操縦課程では単座のF…

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