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 京都は約150年前、沈みかけていた。明治維新に伴い、「都」が東京へ移ったためだ。それでも、時流をつかんで新たな事業を起こし、京都の礎を築いた人たちがいた。コロナ禍で閉塞感(へいそくかん)が漂う今こそ、進取の気風を大切にしたい。島津製作所の創業伝を著したジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳さん(46)に、先人のスピリッツを聞いた。

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 京都の最大のピンチは、幕末から明治維新にかけたころだったのではないかと思います。それまでの常識が壊され、新しい価値が次々に生まれていきました。

 京都市中心部の新京極通は明治の近代化政策の中で寺領を取り上げられ、商業地や映画館などができていきました。寺から供出された仏具などの金属は、溶かされて四条大橋の建材などになりました。近代化の陰には、寺院の負の歴史がありました。

 2018年に出した「仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか」(文春新書)の取材で全国を巡る中、京都に厳しい廃仏毀釈(きしゃく)の嵐が吹いたことを知りました。京都の精神性が損なわれた歴史に驚きました。明治の企業を調べ、出合ったのが島津製作所でした。

 創業者の初代島津源蔵は西本願寺(下京区)の門前で仏具商をしていました。廃仏毀釈の影響で、「鳴かず飛ばず」だったと思います。仏教の関連産業が衰退する中、事業転換を図りました。折しも京都では全国に先駆け、小学校をつくる動きがありました。仏具商から理化学機器の製作・販売にうまくスイッチしました。その時流の見極め方が鮮やかでした。

 ラッキーな部分もありました。…

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