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【2005年 4月2日付 朝刊be 掲載】

 NHKの大河ドラマ「義経」で演じる平清盛は、長いキャリアの中でもはまり役の一つに違いない。平家一門を率いる棟梁(とうりょう)であり、ひとりの武将である。本気で大陸との貿易立国を目指したスケールの大きさは、中世以前の日本で類をみない。

 社長として、スターとして、渡哲也が引き受けてきた期待と重圧も想像にあまりある。スケールの大きさは、石原プロに課せられた命題でもある。しかし、最近の石原プロは活発な動きをみせる。新しい船出の予感に胸をおどらせるファンは少なくないはずだ。

 「そうおっしゃっていただけるとうれしいのですが、私というよりは、専務の小林正彦以下、ブレーンががんばっているということになりますね」

    ■

 映画では高村薫原作の「レディ・ジョーカー」に出演。虚無感すら漂わせる“静”の演技に新境地をひらいた。昨年10月放送の「西部警察SPECIAL」は20年ぶりの新作。そして、11月のテレビドラマ「弟」。石原裕次郎の父・潔と兄・慎太郎の2役を演じた。5夜連続で視聴率20%を突破し、石原プロの底力をみせつけた。

 「われわれの仕事というのは、途中でどんな苦労をしようが、結果としていいものができなければ全く意味がないわけです。ただ、視聴率がお客様に楽しんでいただけたという評価を表すのだとすれば、いい仕事だったのかなと納得しています」

 大ヒットドラマを制作し、役者として充実の季節を迎えた。石原プロの念願である映画制作の機は熟したようにみえる。

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 俳優になったきっかけは、大学の空手部の仲間が、新聞を見て日活の新人募集に出したはがき。東京五輪の1964年、4年生の頃である。

 「きみが新人の渡君ですか。がんばってください」

 日活の食堂で、スタッフと食事をしていた石原裕次郎。雲の上の大スターが、新入りに過ぎない自分に食事の手を休めて、声をかけてくれた……。

 「二十数年、裕次郎さんとおつきあいさせていただいて、人間としての思いやり、優しさを教えられた気がします。初めてお宅にお邪魔したとき、深夜、ふたりで風呂に入りながら、言われたんですよ。『哲、世の中の動きを知るには新聞を読まなきゃだめだ』『俳優である前に社会人であることが大事なことなんだよ』と」

 裕次郎の設立した石原プロに参加したのは71年。映画の制作費などで巨額の負債を抱え、倒産の危機もささやかれていた。テレビシリーズ「大都会」「西部警察」での出演・プロデュース両面にわたる尽力がなければ、会社はもたなかった。

 「自分には確固たる信念というものがなくて、流れに乗ってここまで来たようなものです」

 その優しく、鋭い眼光は未来に向けられている。

【インタビュー】

石原裕次郎の名前を汚さず、スケール大きく 

渡哲也社長(石原プロモーション)

 ――去年は裕次郎さんの生誕70年を迎えました。今年はいよいよ映画を制作されるのではないかと期待が高まります。

 渡 裕次郎さんが亡くなってから、企画はずっと考えてきたんですよ。脚本家の人を連れてハワイや、ペルーまでシナリオハンティングに行ったこともあります。これまで企画は二十数本あったでしょうか。でも、残念なことに、結局ものになったものはないんです。

 ○なにを作るか

 ――ネックは資金面ですか。

 渡 映画会社と違って、うちみたいなプロダクションは一つ失敗すれば、社員の退職金もなくなってしまう。でもおかげさまで、協力してくださる方々もいらっしゃいますから、一番大きいのは「なにを作るか」です。石原裕次郎という冠が大きい。裕次郎さんの名を汚すわけにはいかない。内容的にも、興行面でも失敗は許されない。

 ――やはりスケールの大きさにこだわりはありますか。

 渡 C・W・ニコルさんが書かれた「勇魚」というクジラ捕りの素晴らしい長編小説があるんですが、ぜひ映画化してみたいと思った。でも、今は捕鯨ができないじゃないですか。だから、本物に見えるクジラの巨大な機械を、コマツに造ってもらったこともあるんですよ。

 ――それはすごいですね。

 渡 その一環でノルウェーにもシナリオハンティングに行ったりしたんですが、世界情勢からみて、やっぱり映画にするのは難しいだろうと断念したんです。石原プロらしい作品、石原プロのスケール。そのことを考えていくと、やっぱり途方もないことになっちゃうんですよ。

 ――では制作の話とは別に「理想の映画」をあげるなら?

 渡 皆さんに笑われるかもしれないけど、理想というより私の好みでは、ショーン・コネリーがボンド役の「007」は、ほんとに「ああ映画だなぁ」と思うね。アクションあり、色気あり、またショーン・コネリーがセクシーだし。見終わったあと、豊かな気持ちになって映画館を出てこられるというね。

 ――でもイコール作りたい映画ではないんですよね。

 渡 違いますね。第一、ボンドをやれるような若くて色っぽい俳優は日本にいないもの。

 ――渡さんのボンドを見てみたい気がします。

 渡 いや、それはないよ(笑)。

 ――若い俳優といえば、石原プロで後進の指導はどのようにされていますか。

 渡 「21世紀の裕次郎を探せ」というイベントで迎えた6人の若い人たちに、芝居の練習とか、乗馬や英会話、船舶の一級免許を取らせてと、ひと通りの訓練をしてきたところです。彼らに説教がましいことを言うのは苦手なんですが、それこそ裕次郎さんとか、勝(新太郎)さんとか、名だたる人たちを目の当たりにしてきて、最終的には人間性を高めていくことが俳優として最大の財産になると思いますから。裕次郎さんとか勝さんのエピソードを彼らに話したりもしています。

 ○韓国と共作も

 ――チャンスを与えるのも社長としての仕事ですね。

 渡 たとえばですが、いま元気なアジア映画に、彼らが挑戦する道すじをつけてあげるとか……うちの小林(正彦専務)のほうで、韓国との共同制作も視野に入れて動いています。いまだからお話しできるんだけど「西部警察」でも韓国を舞台にして、向こうの俳優と一緒にやるプランもあったんです。

 ――「西部警察」の撮影中の事故は不幸でしたが、社長としての対応がみごとでした。

 渡 私たちがもっとも大事にしなければいけないファンの方々にケガをさせてしまったのですから、これは誠心誠意、謝罪しなくてはならない。危機管理といった言葉以前の問題です。そして、ケガをされた方々に何をして差し上げられるか。皆さん全員が退院されるまで、(事故のあった)名古屋に社員の駐在員を置きました。ケガをされた方々とご家族に携帯の電話番号をお教えして「何かあったらいつでもここへ連絡してください」と。また、病院には定期的にお見舞いに行かせました。

 ――テレビはよくご覧になりますか。

 渡 ふだんはニュースかスポーツしか見ないんですけど、「弟」で仲間由紀恵さんに(石原)まき子夫人をやっていただいたご縁で「ごくせん」を拝見しました。何があっても、どんな状況でも生徒の味方に立つ先生の愛情と、仲間さんの啖呵(たんか)の歯切れの良さ。僕みたいに60いくつのおっさんが見ても非常に心地よかった。「ああ、これだな」と思いました。この業界に携わるものは勉強しないといかんですね。

 ――「石原プロだからこうでなくては」という以前に、多くのファンを楽しませたいとのお考えのようですね。

 渡 それがいちばんだと思うんですよ。映画やドラマは、やっぱり夢とか感動を与えるものでなくては。その答えを探して日々、模索を続けているところです。私もスタッフも、夢は大きく持ち続けていますよ。

 ◆転機 直腸がん宣告で人生開き直れた

 誰もが認めるボスであり、映画やドラマを支える太い“ビス”(ねじ)である。作品ではいつも鋼鉄の強さをみせる一方、その半生はたび重なる病魔との闘いでもあった。

 日活の看板スターから新天地石原プロへ。71年から75年、俳優として脂がのった時期に3度の長期入院。病名は肋膜炎(ろくまくえん)であったり膠原病(こうげんびょう)であったりした。74年のNHK大河ドラマ「勝海舟」でつかんだ主役の座を、はかりしれない無念とともに降板した。

 療養の日々を通じて人の命のもろさ、はかなさをいやというほど知った。白血病で亡くなった少女の笑顔はいまも脳裏に焼き付いている。夜ごと一個のカップめんを分け合った青年は、別れも告げずに去っていった。

 そして「最大の転機」と自ら振り返る直腸がんの宣告。おれがいなくなったら家族は、子供は、会社の連中はどうなるのか。自問自答と不安にさいなまれる夜を重ねた。裕次郎さん没後4年、91年のことだった。

 「運命といいましょうか、天命といいましょうか。人間には自分の力では及ばない何かがある。投げやりとか、あきらめとかそういう気持ちではなくて、人間は努力を続けなければいかんわけで、一つひとつ、今を大事に完全燃焼する。これががんに教えられたことでしょうか。自分の人生に対して、いい意味で開き直ることができるようになったかなと思います」

 97年の2度目のがんも克服した。人工肛門(こうもん)が決してハンディにはならないことを身をもって証明してみせた。出演作品を、石原プロを、まとめあげる太いビスであり続けている。

 「変化といえば、以前よりも多少『責任』ということを考えるようになりましたかね。監督やプロデューサーにいわれたとおりやるだけでなく、作品に携わった者として全体的な評価にも責任を感じなければという気持ちが芽生えてきました。年齢のせいなのかもしれませんが」

 ★石原プロ 本社は東京都調布市。社員数30人、資本金3千万円。舘ひろしら所属俳優のほか、カメラ・照明・音声など映画のプロが集まる。爆破スタントには欠かせない消防車も自前で持つ。

 ★出演映画 「東京流れ者」(66年)、「無頼より・大幹部」(68年)、「仁義の墓場」(75年)、「誘拐」(97年)など多数。

 ★家族 夫人と長男。趣味はゴルフ、たき火。

      *

 41年 島根県生まれ、のち淡路島に

 64年 青山学院大4年の時、日活入社

 71年 石原プロモーションに参加 

 73年 「くちなしの花」大ヒット

 79年 「西部警察」はじまる

 87年 石原裕次郎死去、社長を継ぐ

 91年 直腸がんの手術

 96年 大河「秀吉」で信長を演じる

 (初期の「西部警察」より(C)石原プロ)

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