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 【熊本】獲物を狙うタカのように両腕を広げ、力強く水を背後に押し込む。鍛え抜いた肩の筋肉は盛り上がり、はち切れんばかりだ。

 昨年12月上旬、東京都世田谷区の日本体育大学多目的プール。

 全盲のパラ水泳選手、富田宇宙さん(31)は、得意のバタフライであっという間に25メートル先の壁に迫った。激突すると思った瞬間、プールサイドで2メートルほどの棒を持った人が富田さんの頭を「コン」とたたいた。ターンのタイミングを伝える補助役「タッパー」だ。富田さんは合図を受けてターンすると、再びテンポ良く逆サイドへ泳ぎ続けた。

 水泳選手にとって、泳ぐ、という「当たり前」の練習ができなくなったのは、昨春のことだ。

 新型コロナウイルスの感染拡大で、富田さんが代表入りをめざしていた東京パラリンピックは1年延期が決まった。4月には練習拠点のナショナルトレーニングセンターが閉鎖した。

 1人での外出が難しく、人の介助を受けたり、触ってモノや状況を認識したりしていた。だが感染リスクを回避するため、人と距離を保ち、うかつに触ることができない日々。食生活もままならず、熊本市の実家へ戻らざるを得なかった。

 練習環境をつくるため、通販で2万円のプールを買った。縦3メートル、横2メートル。自宅の庭にぎりぎり置ける大きさだ。家の柱に付けたチューブを腰に巻き、体に負荷をかけてその場で泳いだ。東京にいるコーチとウェブ会議システムでつなぎ、フォームの改善に取り組んだ。

 高校時代の恩師や先輩の紹介で、市内のプール施設を使えた日もあった。ただタッパーがいない。知人らに代役をお願いしたが、タイミングが合わず、壁に頭をぶつけたこともある。そんな練習が6月中旬まで2カ月あまり続いた。

 とはいえ、コロナ禍の不自由に一喜一憂しても仕方ないと思う。「自分は最初から気軽に出歩けないから。楽しむことを前提に毎日を過ごすしかない」

 前向きな富田さんだが、「人生が終わった」と悲観した時期もある。

 熊本市内の県立高校に通う2年生の10月だった。裸眼で過ごしていたのに、黒板の文字が見えづらい。「視力が落ちたのかな」。そう思って眼鏡を作りに地元の眼科を訪れた。ところが、レンズをつけても見え方は良くならなかった。

 熊本市内の総合病院で再検査を受けた後、医者は告げた。「これから見えなくなるかもしれません」。網膜色素変性症という進行性の難病だった。網膜内の視細胞の異常で視界が徐々に狭くなっていき、人によっては失明するという。

 自分の名前にちなんで宇宙飛行士を目指していた。それなのに――。

 障害を受け入れることができず、「健常者」であろうとした。水泳部の練習に打ち込み、3年生のときには進学校ながら九州大会に初出場。2007年には、東京の大学に進学して一人暮らしを始めた。

 一方で病気は進行し、日を追うごとに視界が欠けていった。大学卒業後はエンジニアとして精密機器メーカーに就職。白杖(はくじょう)を手に通勤した。音声を頼りにキーボードのみで操作するため、どうしても周りに比べて処理効率が低い。劣等感にさいなまれた。

 仕事の傍ら、気晴らしに週に1回程度、障害者向けの水泳クラブに参加するようになった。半身まひの人、腕がない人――。多様な障害のスイマーと出会った。視力をほとんど失った富田さんが彼らのサポートにまわることもあった。体が不自由でも懸命に泳ぐ仲間の姿に、励まされた。

 折しも13年9月、東京五輪・パラリンピックの開催が決まった。「ここでなら自分の個性を生かせる」。パラアスリートの道を選んだ。

 16年のリオデジャネイロパラリンピックは代表入りを逃したが、国内を代表する選手に成長。19年のロンドンパラ水泳世界選手権では、400メートル自由形と100メートルバタフライの2種目で銀メダルを獲得した。

 東京五輪・パラリンピックが延期したのを好機ととらえ、講演にも赴き、パラリンピックの意義や見どころなどについて語る。

 昨秋は高校時代の恩師が勤務する熊本市内の高校を訪れた。話の途中で、視覚障害者用のスイムゴーグルを取り出した。光を通さない素材でできている。富田さんはぼんやり人影や光を感じることができるが、光さえ感じない選手もいる。同じ視覚障害といっても一人一人異なる。こうした条件をそろえるためだ。実際に水泳部の男子生徒に着けてもらい、見えない状態で泳ぐ難しさを伝えた。

 熊本は昨年7月、記録的豪雨に見舞われ、県南部を中心に死者65人、行方不明者2人という甚大な被害を受けた。コロナ下での水害に、避難所などは感染対策といった異例の対応を迫られた。5年前の熊本地震からの復興も、まだ道半ばだ。

 災害にあえぐ故郷にも、ハンデを乗り越えた自分の姿を見てほしい。まずは今年5月、横浜で開かれる国内大会を制し、東京パラリンピック日本代表の切符をつかむのが目標だ。

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 富田さんは2017年、パラ水泳の視覚障害における最も重い全盲クラスに認定された。ショックだったのではと思い、当時の心情について問うと、「視覚障害があるからこそ、パラリンピックの舞台に立つことができる」と語った。

 「パラリンピックの父」と呼ばれるルートヴィヒ・グットマン医師の言葉を思い出した。「失ったものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ」。富田さんはまさに、この言葉を体現しているように感じた。

 富田さん、ベストを尽くして、メダルを勝ち取ってください!(屋代良樹)

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 とみた・うちゅう 1989年、熊本市出身。3歳から水泳を始めた。全盲クラス(S11)の男子400メートル自由形の日本記録保持者。趣味は読書。日体大大学院/EYジャパン所属。身長168センチ、体重63キロ。

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