アカペラ5人組、30年目の再起 言葉の寄付が後押し
黒のスーツでそろえた5人組が織りなす多彩な歌声に、観客たちは引き込まれた。
昨年12月2日、神戸・ハーバーランドのライブ会場。アカペラグループ「チキンガーリックステーキ」は30年前のこの日から、神戸を拠点に活動を始めた。
メンバーの1人が曲の合間に語りかけた。「僕たちも30歳の誕生日。ハッピー・バースデー・トゥー・ミーですね」。祝福の拍手が会場を包んだ。
思い描いていたような記念の1年ではなかった。でも、大切な1年だった。
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「阪神・淡路大震災25年 チャリティーコンサートinチャペル」
こう銘打ち全国十数カ所の教会をめぐる予定だった。アカペラは教会で始まったとされる。その原点に立ち戻り、マイクなしで歌声を届ける。自分たちの節目の年に、神戸にとって大きな出来事だった震災と向き合う意義も感じていた。
1995年1月17日。メンバーの前沢弘明さん(57)は当時、高校教諭でもあった。両親を亡くした生徒がいた。建物の下敷きになった友人を助け出せなかった生徒がいた。
「忘れずにいようなんて簡単に言えない」。当初は震災に触れるのは極力封印していた。
それでも月日が過ぎ、記憶を語り継ぐ催しは徐々に減った。
「次の世代に伝えつつ、明るく楽しく過ごして希望を紡ぐ日になれば」。震災16年となった2011年から、毎年1月17日にコンサートを開くようになった。
昨年1月も開いた。でも翌2月から、ぱったりステージに立てなくなった。
会場は、どうしても「密」になってしまう。年間100本以上こなしてきたライブ活動は中止に追い込まれた。
チケットの払い戻しの費用もかかり、メンバーは貯金を切り崩した。「絶望感しかなかった。廃業も覚悟した」。全員が同じ危機感を抱いた。
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昨年7月。活動資金をネット上で募るクラウドファンディングに賭けた。
葛藤はあった。コロナ禍で生活が苦しいのはファンも同じ。プロとして甘えて良いのか、と。
でも、このままステージを下りたくなかった。
目標額は300万円。募集から1時間で100万円を超え、その日のうちに目標額を達成できた。結局、約1カ月半で約400人から649万1300円が集まった。
寄付とともに寄せられたコメントに、涙でかすんだ。
「小学生の頃からいつも元気を下さったチキガリさん。微力ですが、助けになれば」
「辛かった時、みなさんの美しいハーモニーに救って頂きました。このような時だからこそ、歌い続けて」
「自身もコロナの影響により先が見通せないので、なけなしの支援額で申し訳ないですが、なんとか続けて」
寄付へのお礼の費用などを差し引くと、実際に手元に残ったお金はわずか。それでもメンバーの渡辺敦さん(45)は「言葉にならないほどありがたく、多くの人に勇気づけられた」。
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その月の終わりから、少しずつ動き始めた。客席は大幅に減らさざるを得なかったが、それでもファンの前に立つことができた。
30周年ライブ。最後に、リーダーの川上伸也さん(61)が透き通った高音で歌い上げた。渡辺さん作詞のバラード曲「道」。
♪どんなに傷つき倒れても いつも笑っていたい
(中略)
♪精一杯(せいいっぱい) 不器用でも 探し続けるこの道
人生には紆余(うよ)曲折がある。だけど、今をともに生きる人たちに伝えたい思いがある――。
年が明けても先行きは見通せない。それでも歌う。今年の1月17日も。この歌のようなメッセージを伝えたいから。(五十嵐聖士郎)
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