[PR]

 大きなプリンター。棚の上に並ぶフィルムカメラ。長机の上には、ポスター大に印刷された写真作品が何枚も広げられている。

 群馬県中之条町五反田の「イサマムラ」。2013年に廃校となった旧中之条町立伊参(いさま)小学校を改修し、中之条ビエンナーレの事務局やアトリエとして使われている。写真家の糸井潤さん(49)の創作拠点だ。

 17年夏に東京から町内へ移住。林業などで生計を立てながら、国内外30以上の展覧会で作品を発表した。一部は米ヒューストン美術館にも収蔵されている。

 栃木県小山市出身。高校時代、報道写真家のロバート・キャパ(1913~54)に憧れた。「たった一枚の写真で世の中の流れを変えたり、戦争を止めたりできるなんて」。同じ道を志して米国の大学に進み、シカゴの新聞社でパートタイマーとしてカメラマンになった。

 だが、就労ビザが切れて退職。専門性の高い外国人労働者が利用する「H―1B」ビザを取得し直すのも難しかった。大学の恩師の勧めもあり、被写体としての「人間」と向き合うドキュメンタリー写真を学ぼうと、大学院へ進んだ。

 修士号を取得した01年、ニューヨークで同時多発テロが発生。イスラム教とキリスト教の宗教感情の対立があおられる中、多民族国家の米国での「外国人」としての自分の立場を深く考えるようになった。「このままでは一生日本に帰れなくなるかも」。そんな不安から、翌年帰国。東京を拠点にフリーの写真家の活動を始めた。

 だが、生活の糧を得るための会社勤めで、帰宅はほぼ毎日終電。転職したが、創作活動との両立は変わらず厳しかった。当時30代半ば。疲れた背中のサラリーマンに将来を重ねた。次第に東京での暮らしに疑問を感じるようになった。

 17年春、転機が訪れた。ハローワークで偶然、群馬の森林組合の仕事を見つけた。フィンランドの森で撮影をした経験から林業に興味があり、15年には森林就業支援講習を受けたこともあった。そこで出会った木こりの高齢男性の、森で生きる凜(りん)とした姿を思い出した。「どうせ歳(とし)を取るなら、どうすればいいか」。答えは決まっていた。

 森林組合がある中之条町で2年に一度開かれる中之条ビエンナーレには13年と15年に出展。イサマムラも訪れていた。5月に森林組合の面接を受けると、6月に勤め先へ退職の意思を伝え、8月にイサマムラからほど近い家を借りて引っ越した。9月にはビエンナーレで3度目の展示をすると、翌春には同様に県外から中之条町へ移ったアーティストらによる企画展「拝啓、うつり住みまして」展を主宰した。

 現在は日雇いで林業をしながら長期間の撮影や遠方での展示などを続ける。大都市と離れた山での暮らしに「不便はない」と糸井さん。地域のアートへの理解の深さも移住の決め手になった。「あの木はこういう材料になる」「この部分は薬になる」――。自然と共に暮らし、そんな知識を豊富に持った人々との出会いにも心が満たされる。林業の仕事がない日は、終日イサマムラのアトリエに。アーティスト仲間ともほどよい距離感で刺激し合う。

 澄んだ冬空に山々を赤く染める夕焼けが映えるアトリエの窓辺で、糸井さんは言う。「豊かな歴史と自然に囲まれ、題材にも事欠かない。恵まれた環境だとしみじみ思います」(松田果穂)

関連ニュース