大学病院から那須の町医者に 本間真二郎医師
「これ大根、これが白菜、大豆、水菜……」。
栃木県那須烏山市の国民健康保険「七合(ななごう)診療所」。すぐ隣に広がる100坪ほどの畑で、所長の本間真二郎医師(51)が白衣のまま、自慢の作物について説明した。
2009年、札幌市から人口約2万5千人の那須烏山に移住した。直前まで札幌医大付属病院の新生児集中治療室(NICU)室長を務めていた。
札幌市出身で札幌医大を卒業した。大学病院の勤務は過酷で、1カ月に13回も宿直し、翌日には外来で患者を診た。加えて研究論文を書かないと病院に残れない。後輩や学生の指導も求められる。休日はほとんどなく、分刻みの歯車のように動いていく毎日だった。
「それでも仕事が楽しいから無理だと思ったことはない。疲れないし、つらいと思ったことはなかった」
転機は2001年の米同時多発テロ。米国立衛生研究所(NIH)に留学する1週間前だった。崩れるビルをテレビで見て価値観が揺らいだ。「取り組んでいた医療を含めて、今までの常識や考えに疑問を持つようになった」
米国の研究環境は日本とは全く違っていた。予算は潤沢で、ウイルスやワクチンの研究に取り組んだ。自由な時間もでき、医学だけでなく、政治や経済、宗教、教育、おカネなど興味のあることを片っ端から調べまくった。
自然や社会について、自分なりにある程度の考えがまとまった3年半後、大学病院に戻った。もとの目まぐるしい生活に放り込まれた。4年がすぎ、その生活に区切りをつけた。関心のある自然治癒力を高める生活を自ら実践して学ぶため移住を決意した。選んだのは縁もゆかりもなかった栃木県。しがらみから離れるためだった。
「医の前に食があり、食の前に農があり、農の前に微生物がある」――。
薬や注射をなるべく使わない「自然派の医師」を名乗り、患者自身の「自然治癒力」を重んじてきた。西洋医学を否定はしないが、興味を持ち、賛同する患者には「自然に沿った暮らし」を伝えている。
12月上旬、足に軽いやけどを負って来院していた男性(86)は「先生は話をよく聞いてくれる。優しい。みんな信頼している」。
本間さんは地域医療に携わりながら、自然の仕組みを理解するため、耕さず肥料も与えず、雑草も取らない自然農を中心とした野菜づくりを実践している。みそやしょうゆ、酢なども自作している。
「大学病院のときより忙しい。特にコロナのせいでより忙しくなった」。夜9時に6歳と3歳の子どもと一緒に寝て、早朝に起きた後の数時間だけが自分の時間だ。ウイルスの専門家として新型コロナに関するデータを集めて解析し、ブログなどで発信している。
昨年6月には「感染を恐れない暮らし方」と題した本を出版。「薬やワクチンなど何かを求めるのではなく、生活の中で自分自身の免疫力を高めれば、何も怖くない」と主張する。
栃木に移って11年。「大学病院の医師でないとできない仕事もあるし発言の重みも違う。しかし、自分のやりたいことをやってきた。後悔はまったくない」(中野渉)