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 熊本県内を中心に深刻な被害をもたらした昨年7月の記録的豪雨から4日で半年が経った。被災地では、ふるさとの復興と再生を見据えて歩む新成人がいる。

 豪雨で氾濫(はんらん)した球磨川が流れる球磨村。村は4日に予定していた成人式を新型コロナウイルスの感染拡大防止のため延期した。村の臨時職員、糸原樹哉(たつや)さん(19)は25人の新成人の一人。仕事始めでもあるこの日、役場でパソコンの前に座り、被災世帯に支給される生活再建支援金に関する入力作業をしていた。「気を引き締めて、村の人のために前向きに仕事をしていきたい」。朝は同僚と、豪雨災害で亡くなった人々を悼み黙禱(もくとう)した。

 小さな頃から球磨川の支流で釣りや川遊びをしたり、イノシシ猟をする祖父と一緒に山の中に入ったりして育った。2人の兄は村を出たが、糸原さんは生まれ育った村を「もっと深く知りたい」と役場への就職を希望し、高校卒業後の2019年に採用された。運動指導員として村内の公民館や集会所などを回り、高齢者向けに体操や認知症予防のトレーニングを指導する健康教室を担当している。

 豪雨が襲った昨年7月4日の早朝。球磨川の水が堤防を越え、川沿いの国道219号にあふれているのが自宅から見えた。地区の消防団員として、近くにある村唯一の特別養護老人ホーム「千寿園」へと走った。

 施設職員らと2人1組で入所者をのせたシーツの両端を持ち、2階に避難させるため必死で階段を上った。思うように進まない。窓の外で茶色い水のかさが上がり、1メートルほどの高さに達した時に窓が割れ、ベッドや車いすを押し流した。職員の悲鳴が響いた。糸原さんは階段まで泳いで屋上に逃れ、取り残された人にロープやカーテンを差し出して引き上げた。それでも目の前で多くの命が失われた。村では園の入所者14人を含む25人が亡くなった。

 被災直後、村民が避難所として身を寄せた旧多良木高校(多良木町)で支援物資の運搬やコロナ対策の検温などにあたった。8月から災害ごみの仮置き場に立ち、運動指導員の仕事に復帰したのは11月だった。

 30カ所以上あった巡回先の公民館などは多くが被災し、10カ所余りまで減った。仮設住宅団地にも月に1度、訪れる。被災前と比べて表情が暗く、口数が少なくなった参加者もいる。大きな声と身ぶりで元気に振る舞う。「元気を振りまくのが一番若い自分の仕事だから」。豪雨の前より、参加者に合わせることを意識するようになった。

 「体を動かすので間隔を空けて下さい」「私はひざが痛かね」「無理しないで良いですからね」。12月下旬、山あいの集会所で健康教室があった。参加した4人の女性は70代。自宅でもできる簡単な内容を中心に、糸原さんの指導で腕を回したり、上半身を左右に曲げたり。リラックスした雰囲気で自然と笑みがこぼれる。女性の一人は「みんなで集まって、体操とおしゃべりできるのが楽しい」と話した。

 災害に見舞われるまでは、県外の知らない土地で経験を積むことを考えたこともあった。だが、千寿園での救助活動や避難所の運営に携わり、「球磨村のために働くしかない」と思うようになった。2階まで浸水した自宅は全壊し、親戚が所有する空き家を借りて両親と3人で暮らす。

 栗やタケノコを近所同士で分けあう人のぬくもり。エメラルドグリーンに輝く球磨川の流れ。春、満開になる国道の桜並木。ずっと残したいものがある。「何年かかってもいいから、あの美しい村を取り戻したい。生かされた命を無駄にはしない」(井岡諒)