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 【愛媛】あのToyo Itoが、「島づくり」に取り組んでいる。

 「建築のノーベル賞」といわれるプリツカー賞を受けた建築家、伊東豊雄さん(79)。瀬戸内しまなみ海道沿いの大三島(愛媛県今治市)の豊かな自然にほれこみ、10年前、若手建築家を育てる場も兼ねるミュージアムを開いた。島の人たちと交流を続け、ワイナリーもつくった。

 「大きな工場や企業が入ってこなかったぶん、非常に美しい風景が保たれている」。過疎化が進む島の人びとと都会の人びとを結びつけようとしている。

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 1941年、現在のソウルで生まれ、長野県の下諏訪で自然に囲まれて子ども時代を過ごした。東大で建築を学び、71年、建築設計事務所を開設。「せんだいメディアテーク」(2001年開館、仙台市)に代表される新しい建築表現への挑戦で高い評価を受け、公共建築を中心に活躍してきた。

 大三島との出会いは05年ごろ。篤志家の故・所敦夫さんに、島にある「ところミュージアム大三島」の別館の設計を依頼された。船に乗り、初めて訪れた。海から見た大三島は美しかった。

 その後、計画は中断。「そろそろ若手を育てるような仕事がしたい」と所さんに相談したところ、巡り巡って自身の「今治市伊東豊雄建築ミュージアム」を島につくることになった。活動拠点の東京では、若手のための建築塾を立ち上げた。直後の11年3月、東日本大震災が起きた。

 積み上げてきた建築観が、大きく揺さぶられた。建築塾の塾生らと被災地を巡るうち、どの町にも同じ手法を押しつける「近代主義的」な復興計画に疑問を感じた。

 均一的なプレハブの仮設住宅、海と人とを隔てる高い防潮堤、もといたところから離れた高台への移転。海辺で生業を続けてきた人たちの復興への思いを台無しにしているのではないか。「被災したのは、我々が考えてきた都市の建築とは縁遠い、自然と密に暮らしてきた人たちだった」

 建築の原点は人の集まる場所。ささやかな抵抗として、ほかの建築家や塾生たちと「みんなの家」を手がけた。仮設住宅で暮らす被災者とともに考え、みんなが集まり、くつろぎの時間を共有できる集いの場。

 この「みんなの家」を大三島にもつくれないか。やはり近代主義の恩恵をあまり受けてこなかった島の人たちと一緒に、島を元気にしたい。塾生たちを中心に12年、島づくりプロジェクトが始まった。

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 15年、「大三島みんなのワイナリー」という会社を設立。少子高齢化で耕作放棄地となったミカン畑を再利用し、ブドウの栽培を始めた。ワイン好きの伊東さん夫妻のアイデアだった。

 空き家を改修して交流施設「大三島みんなの家」をつくり、島のワインを販売。19年には島で戦後しばらく栽培されていたタバコの乾燥小屋をモチーフにした醸造所も完成させた。

 自然相手の仕事に携わり、「その土地や気候の個性を大切にしないといけない」。廃校になった小学校の校舎を宿泊施設にしたり、空き家を改装して移住者を受け入れたり。それは、新しいランドマークをつくって人を集めるという、以前考えていたまちづくりとは異なるアプローチだった。

 「震災を経験し、大三島に行くようになって、建築家の仕事っていうのは、もっとやることがたくさんあると思った。『こんなもんつくったぞ』とひけらかしても全然面白くない。そういう時代じゃない」。地域をどう元気にしていくか、どうしたら美しい自然と関われるか。住民と一緒に考えていくことが、島で実践したいまちづくりだ。

 数年後には「生活の半分を島で」とも考えている。そのための土地はすでに買ってある。移住してきた建築塾の出身者もいる。

 「島にある大山祇(おおやまづみ)神社の参道をもう少しにぎやかにとか、小さな展望を積み上げていくしかない。みんなと少しずつやってみたい」

 時間もかかるし、お金はない。「いろいろ苦労はあるけど、応援してくれる人たちがいますので。もう少し頑張れるかな」。島づくりは今年、10年目を迎える。(足立菜摘)

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