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 いまやどこの家庭にもあるスプーンやフォークなど金属洋食器。その国内出荷の95%を占める新潟県燕市の老舗企業には「日本初」と銘打たれた製品が残されている。洋食器産業のはじまりと発展には、型破りな「8代目」の奔走があった。

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 100年以上たった今も輝きは失われていない。

 「日本で初めて製作された洋食器」。1751年創業の新潟県燕市にある金属洋食器製造会社「燕物産」の応接室に飾られた真鍮(しんちゅう)製のスプーンとフォークの銘板に刻まれている。

 「これ、手作業ですもんね」。社長の捧(ささげ)和雄(68)は感心する。スプーンは真鍮の板を木型の上でたたいて曲線をつくり、表面の凹凸は炭で磨かれた。フォークの先端も一つひとつやすりで削られた。

 1枚の真鍮の板が、スプーンとフォークに変わるまでを再現している。

 1981年、皇太子だった現在の上皇ご夫妻が、燕物産に立ち寄ることになり、土蔵から出して飾られた。

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 1911(明治44)年、東京・銀座で洋食器やランプを輸入・販売していた「十一屋」から、当時まだ輸入品ばかりだったスプーンとフォーク36人分の製造依頼が舞い込んだ。当時、東京では作れる業者がなく、金物商を営み、銅器製造の高い技術で定評があった燕物産に白羽の矢が立った。受注した7代目捧吉右衛門の弟・吉治(8代目吉右衛門)の著書にはそう記されている。8代目は和雄の祖父だ。

 親戚が営む銅器製造の玉栄堂で製造された。創業者の今井栄蔵は、銅の1枚板をたたいて起こす「鎚起(ついき)銅器」で知られた燕市の玉川堂で修業を積み、銅の芸術品や日用品を作っていた。金属の荒々しさがなく、やわらかさを感じさせる卵のような滑らかな曲線が特徴だ。和雄は「真鍮は銅よりも割れやすい。だが、1枚の板をたたく技術があったので、使えたのでは」と銅器職人が製造できた理由を推測する。

 燕では、江戸時代の和釘から始まり、やすりや筆記用具の矢立(やたて)など様々な金属製品が作られてきた。一枚の銅板からやかんを作る技術はスプーンの滑らかな曲線に、キセルなどを装飾する彫金技術はフォークの柄の彫刻にそれぞれ生かされた。燕市産業史料館学芸員の桑原美花は「どれか一つが欠けていたらできなかった」と話す。

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 だが、和雄によると、これが金属洋食器として「日本初」だったわけではないらしい。銀器を販売していた宮本商行(東京都中央区)が、燕物産より先に銀製の洋食器を製造していた。同社に確認してみると、1909年のカタログに銀製のスプーンやフォークが載っているという。皇族や華族らのための超高級品として売られていたとみられる。当時、金属洋食器は高級品で庶民にはなじみはなかった。燕物産にもその後、しばらく受注はなく、生産されなかった。

 その後、第1次世界大戦(14…

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