あこぎな男は悪人か、孝行者か 語源の海岸に2つの物語

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佐々木洋輔
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 あこぎなやつ、あこぎな商売。「強欲」「あくどい」といった意味で使われる「あこぎ」の語源は、津市中心部の海岸「阿漕(あこぎ)浦」に伝わる物語に由来する。その昔、伊勢神宮の神域だった阿漕浦で密漁が見つかり、海に沈められた男がいたそうな。一方、地元では、この男は親孝行のために禁を破ったとも伝わる。極悪人か、孝行息子か。地獄で鬼の責め苦を受け続けるといわれる男の物語を読み解こう。

 「昔々、阿漕浦の漁師で平治ちゅう男がおりましてな」

 津市の名所史跡を案内する安濃津ガイド会の高森孝一(たかいち)さん(85)は、平治をまつる阿漕塚(津市柳山津興)で語ってくれた。

 病気の母親を持つ漁師の平治は「病気には阿漕浦で捕れるヤガラという魚がよい」と聞く。病で日に日に衰弱していく母親を前に、平治は決心を固め、禁漁区である阿漕浦に夜な夜な舟をこぎ出す。ヤガラを食べさせたことで母親の体調は少しずつ回復するが、浜に「平治」と書かれたすげ笠を置き忘れたことで、密漁が露見する。

 捕らわれた平治はす巻きにされ、阿漕浦の沖に沈められる。その後、夜になると阿漕浦から泣き声や網を打つ音が聞こえ、その音を聞いた者は病気になった――。

 地元住民でつくる「阿漕平治保存会」は毎年、平治の孝をたたえ、その霊を慰めるため、平治が処罰されたと伝わる8月16日夜、阿漕塚で供養を捧げてきた。

 この平治伝説は江戸中期以降、浄瑠璃などで演じられ全国に流布した。ただ、この話からは、悪い意味で使われる「あこぎ」の意味合いは伝わってこない。

 一方、室町時代に作られた謡曲(能)「阿漕」の筋はかなり違う。

 伊勢神宮へ参拝に向かう旅人…

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