終結もし長引けば…沖縄戦 幻の滑走路を描いた図面発見

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 1945年の沖縄戦で、米軍が日本本土攻撃用の基地として沖縄県読谷村の西側地域に造った「ボーロー飛行場」建設の進捗(しんちょく)状況を記した手書きの図面が見つかった。村長浜に住む仲村渠一俊さん(66)が、米公共政策シンクタンク「フーヴァー研究所」のウェブサイト内で確認した。実際に完成した飛行場の滑走路は1本だが、図面から当初2本を予定していたことが読み取れる。村史編集室によると、図面が見つかるのは初めて。2本目の滑走路建設が予定されていたことは村史にも記録がないという。

 仲村渠さんは長浜の字誌の編集委員。米軍関係資料をウェブ上で独自に収集している。図面は沖縄駐留経験のある退役軍人らが交流するSNSで紹介されていたという。

 村史によると、米軍は本島上陸後、B29爆撃機用として日本軍の北飛行場(読谷補助飛行場)を拡張しようとしたが、地形的に難しく、隣接地に長さ約2590メートルの滑走路を持つボーロー飛行場を建設した。

 飛行場では輸送機の着陸などはあったが、戦闘行為で使われた記録はないという。戦後は射撃場に転用され、77年までに返還された。村史は45年12月に米軍が撮影した航空写真を所蔵しており、1本の滑走路が確認できる。

 フーヴァー研究所のサイトでは、ボーロー飛行場を手書きで描いた「最後の日報のコピー」として米海軍第78建設大隊が作成したと紹介。時期は45年9月と書かれている。1本目の滑走路の「WEST RUNWAY」など完成している部分に斜線が引かれている。

 仲村渠さんは「滑走路2本が建設予定だったと知り、驚いた。戦争終結が長引けば2本目ができていたかもしれない。そうなれば周辺の集落がなくなり、住民の帰村が遅れるなど、その後も変わっていたかもしれない」と話す。沖縄戦に詳しい村史編集室の豊田純志さんは「新資料として今後、村の平和創造展などで紹介したい」と語った。(沖縄タイムス)

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