ドジャース一筋21年「ノモは息子」 青い血の名将死去

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編集委員・安藤嘉浩

 ウォルター、ピーターのオマリー親子が球団経営する家族的な雰囲気のドジャースで、監督を21年間も務めた。トミー・ラソーダさん自身もチームを「家族」と表現し、日本からやってきた野茂英雄さんを「マイ・サン(私の息子)」と呼んだ。

 野茂さんが大リーグで鮮烈なデビューを飾ったのは1995年。「野茂は英語をしゃべれなかったが、日本を背負っていた。誰よりも練習し、勇気をもって挑戦したから、日本選手が大リーグでプレーする流れができたんだ」。10年後の2005年、ドジャースタジアムでじっくり話を聞いた。

 「2人でよく食事をしたよ。すしにするか、と聞いても、野茂はいつもパスタがいいと言うんだ」。ドジャーブルーのベスト姿で、人なつっこく笑う。黒人初の大リーガーに例えて「野茂は日本のジャッキー・ロビンソンだ」と評した。

 76年にドジャース監督になると、4年目から4年続けてナ・リーグ新人王が輩出。その1人がメキシコ人のフェルナンド・バレンズエラ投手(81年)だった。最後の5年もマイク・ピアザ捕手(93年)、野茂投手(95年)らが立て続けに受賞。ドジャースを率いた21年間で、実に9人もの新人王を生んでいる。

 バレンズエラさんも入団当初は、ほとんど英語を話せなかったという。「悩みがあったら打ち明けてくれ。俺たちはファミリーだから」といつも気遣う監督の存在は大きかっただろう。野茂さんも「いい結果が出ると、ぼくを抱きかかえて喜んでくれる。自分を認めてくれたような気がして、うれしいですよ」と語っていた。

 大リーグや日本のロッテで監…

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