北海道ワインとチーズは世界に通用するか 先駆者の答え

聞き手・榧場勇太、長崎潤一郎、片山健志、天野彩
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 北海道でワインとチーズの作り手が右肩上がりに増えています。それぞれ道産のブドウとミルクを加工してできる。地域に根ざした産業として北海道を引っ張っていく可能性を感じます。ワインとチーズのフロントランナーの2人に、新たな産業としての現在地と将来像を聞きました。

アメリカから日本、そして北海道へ

 米国出身のブルース・ガットラブさん(59)は30年以上にわたり日本でワインをつくってきた。2009年、新天地に選んだのが北海道岩見沢市だった。12年に「10R(とあーる)ワイナリー」を設立し、若手の育成にも力を入れる。

 「カリフォルニア大学デービス校大学院で醸造を学びました。ワインのコンサルタントとして働いていたところ、栃木県の障害者支援施設が立ち上げた『ココ・ファーム・ワイナリー』に招かれ、1989年に来日しました」

拡大する写真・図版ブルース・ガットラブさん=2020年11月25日、北海道岩見沢市、日吉健吾撮影

 「最初は1年で帰る予定でしたが、懸命にブドウづくりに向き合うスタッフたちに心を動かされました。コンサルタントを辞めて日本に移住し、そのままココ・ファームの醸造責任者として働きました」

 流暢(りゅうちょう)な日本語で語るガットラブさん。手がけたワインは2000年の九州・沖縄サミットで各国首脳が味わった。なぜ、次の挑戦の地に北海道を選んだのか。

 「ココ・ファームでは自ら栽培するブドウだけでなく、全国各地からブドウを購入してワインをつくっていました。その中で余市町で栽培された『ケルナー』という品種のワインが、香りが良く果実味も豊かで、とても気に入りました。それから北海道のワインをいろいろと飲んでは産地を訪ね、岩見沢市にワイナリーを建てることにしました」

 寒い北海道はブドウの栽培に適しているのか。

 「ブドウの栽培に適した土地の条件は三つ。収量が多いこと、ブドウが病気になりにくいこと。北海道は雨が少なく、湿度も低いのでカビがつきにくい。そして、『おいしいワイン』ができること。北海道の風土を愛し、おいしいワインをつくりたいという人が集まっている。これが一番大切かもしれません。最後にワインの味を決定づけるのは人ですから」

 「雪も大切な要素です。ブドウの木は零下15度以下になると凍害の危険があるが、雪の中は外より暖かいので、北海道の寒さからブドウを守ってくれます」

 ワインの愛好家がよく口にする「テロワール」というフランス語がある。土壌や気候など「その土地らしさ」という意味だ。

 「その土地ならではの味わいを表現するのが農産物です。しかし、私が大学で学んだ醸造学は、化学農薬を使って効率良くブドウを栽培し、人工的に作られた酵母や酸化防止剤などの添加物をたくさん使う『インダストリアル(工業的)』なワインづくりでした」

 「日本のワイナリーで働くようになってから、化学農薬を使うと土地がやせてしまい、どこでつくっても似たワインになることを身をもって知った。だから自社の畑では化学農薬はなるべく使わないように努め、添加物を減らして自然な味わいをめざしています」

 ガットラブさんは若手への指導にも取り組む。

 「原料のブドウを持ち込んでワインをつくりたい人の仕込みを手伝う『受託醸造』をやっています。欧米では一般的で、今年は21の生産者からブドウを受け入れました。ブドウを栽培したい、ワイナリーを建てたいという人が学べる場所を立ち上げ、北海道をワインの新しい産地に育てたかった」

 「いろんな考えの人が同じ場所でワインをつくることで、互いに刺激になる。ブドウの栽培や醸造がうまくいかないときは、仲間と一緒に悩み、解決できることもある。基礎的なことは教え、選択肢を示しますが、あとは自分で考えてもらう。私のやり方をまねる必要はないし、高価なフランスワインの味をめざす必要もない。自分の味を見つけることが重要です」

 北海道は世界に通用する産地になれるだろうか。

 「北海道は新しいワインの産地で、日本の中でも山梨や長野よりも遅れて発展しています。まだまだ道は遠いが、将来性は大いにある。ワインの品質は年々上がっているし、生産者の熱い思いを感じます。それぞれが理想を追い求め、北海道の風土を生かしたワインがたくさんできればよいと思います」

ブルース・ガットラブさん(59)の歩み

1961年 米・ニューヨーク州生まれ。母はイタリア系、父は東ヨーロッパ系の移民。

1985年 醸造学研究で有名なカリフォルニア大デービス校大学院を修了後、ワイナリーで醸造コンサルタントとして勤務

1989年 栃木県足利市の「ココ・ファーム・ワイナリー」に招かれる

2000年 九州・沖縄サミットで「ココ・ファーム」のスパークリングワインが乾杯酒に選ばれる

2009年 日本人の妻、亮子さんとともに北海道岩見沢市に移住し畑を開墾

2012年 「10Rワイナリー」を開設

チーズの学びや

 北海道十勝地方の新得町にある「共働学舎新得農場」代表の宮嶋望さん(69)は、日本のナチュラルチーズづくりの草分けの一人。米国の大学で酪農を学び、帰国後の1978年に町有地の放牧場約30ヘクタールを無償で借りたのが始まりだった。送り出すチーズは国内外で高い評価を得ている。

 「新得農場は、心身に障がいや悩みを抱える人が共同生活を送り、働きながら自立するために父が開設した『共働学舎』の拠点の一つです。私の家族を含む6人、牛6頭でのスタートで、生活するためには付加価値が高いものをつくる必要があった。そこで目を付けたのがチーズでした」

 「現在は年間の売り上げ約2億2千万円の7割近くをチーズが占めます。0~82歳の約60人が、チーズづくりのほか、約100頭いる牛の世話や畑仕事をしています。生活分配金のほか、子どもがいる人には教育費、住宅費などを出す。寄付に頼らず、経済的に自立できています」

 米国式の農業経営に疑問を抱いた宮嶋さんは、欧州に学びつつ、「日本のチーズ」を追い求めてきた。

 「米国から帰国後、『絶対に米国のまねはしない』と決めました。大学入学前の2年間、現地の牧場で酪農実習として住み込みで働きましたが、大規模経営の米国と同じ土俵では日本はやっていけない。安価な農産物を大量に生産して輸出し、世界の食糧マーケットを支配しようという考え方にも反発がありました」

 「フランスでは地域ごとに違うチーズやワインの価値を守るため、AOC(原産地統制呼称)という制度があり、私のチーズづくりの師であるAOCチーズ協会のジャン・ユベール会長は『欧州のコピーじゃダメだ』と教えてくれました。私がめざしたのは、地域の風土に根ざした『日本のチーズ』です」

拡大する写真・図版宮嶋望さん=2020年11月13日、北海道新得町、日吉健吾撮影

 ゼロからスタートした宮嶋さんのチーズは本場欧州で認められた。

 「桜の香りをつけた白カビタイプのソフトチーズ『さくら』は2004年、スイスで開かれた『山のチーズオリンピック』でグランプリを獲得しました。日本酒で表面を洗いながら熟成させるウォッシュタイプの『酒蔵』は、JALのファーストクラスの機内食に採用されました」

 北海道はチーズづくりに適しているという。酪農が盛んな北海道では、牧草を食べた健康な牛の良質なミルクが割安に手に入る。ただ、それだけではない。

 「発酵に必要な微生物がたくさんいる日本には、みそや納豆など、食材を発酵させる文化が根づいています。特に、北海道が位置する北緯43度付近は『発酵ライン』といわれます。同じ43度付近のブルガリアやモンゴル発酵食品が有名です。赤道直下は暑すぎるから発酵が早く進む。逆に、北緯50度以北は寒すぎて発酵がなかなか進まない」

 「ただ、同じ北海道でも水や気候が違えば、同じものはつくれない。根室や釧路のように海に近い場所では、十勝と同じ味にはならない。それぞれの地域で、その土地に合ったチーズを考えることが大事です」

 宮嶋さんは、チーズづくりを学ぶ研修生も受け入れている。北海道のチーズ産業が進むべき道をどう考えているのか。

 「ここでノウハウを学び、独立した人は20人近くになるでしょうか。それぞれががんばることで、チーズ産業の裾野が広がります。右肩上がりに増えているチーズの消費量は今後も拡大するでしょう。北海道、そして日本のチーズ産業はさらに成長する可能性が大いにあります」

 「十勝地方のチーズ工房は共同で熟成庫をつくり、地元の温泉水で表面を洗って熟成させるラクレットチーズのブランド化を進めています。日本でも地域独自の農産物や食品のブランドを守る「地理的表示保護制度」(GI)が15年に始まり、十勝の風土に根づいたチーズとして登録を申請しています。今後は自由貿易の拡大で関税が撤廃され、輸入品がさらに安くなる。高い品質と個性をもつチーズをつくり続ける必要があります」

宮嶋望さん(69)の歩み

1974年 父が教師をしていた私立校「自由学園」(東京都東久留米市)を卒業し渡米

1978年 米・ウィスコンシン大学畜産学部を卒業後、北海道新得町で共働学舎新得農場を開設

1991年 牛舎や搾乳室、チーズ工房建設のため1億1200万円を投資。本格的にチーズづくりを始める

1998年 第1回「オールジャパンナチュラルチーズコンテスト」で最高賞

2004年 スイスで開かれた第3回「山のチーズオリンピック」でグランプリ

ワイン&チーズ新時代(聞き手・榧場勇太、長崎潤一郎、片山健志、天野彩)