優しさが心にしみて 被災地で夢追う若者

構成・藤谷和広
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 【岩手】ときに孤独や葛藤を抱えながら、被災地で生きていくことを選んだ若者がいます。支えになったのは、受け入れてくれた地域の人たち。夢に向かって動き始めた2人が語りあいました。(構成・藤谷和広)

 三浦さんは神奈川県出身。大学の授業で被災地を訪れ、聞き書きをしたり、祭りを開いたりした。そこで出会った家族のもとで1カ月間、ワカメの養殖を手伝い、その後、陸前高田市の水産加工会社に就職した。

 ――移住を決めた理由は?

 三浦 家族や就職のことで悩みもあったのですが、大自然のなかで体を動かしているうちに気持ちが晴れました。毎日が新しい発見の連続で、もっと知りたい、やってみたいという思いが強くなりました。

 何よりの決め手は「人」です。食事を出してくれたり、車に乗せてくれたり。部屋も探してくれました。本人たちは「あたり前のこと」と言っていましたが、優しさが心にしみました。

 ――地元のコミュニティーに入る難しさもあるのでは?

 三浦 移住してからは震災について深く聞けなくなりました。ボランティアのときは、第三者だからこそ相手も安心して話してくれるところがあった。地域の一員になると、なかなか本音は聞き出せません。世間的に「復興は進んでいる」とされると、余計言いづらくなってしまいます。

 あるとき、知人が携帯で動画を見ていたので、のぞき込むと津波の映像でした。忘れないように見ているんだそうです。みんな普段は笑顔も見せるし、普通の生活をしているけど、実はもっと傷ついているのかもしれないと思いました。「そのとき」を共有していないと、最後までわからないことはあるんだなって。

 吉浜 自分も見ていましたね、津波の映像。震災当時は小6でした。実家は宮古市の山の方なので被害はまったくなかったんです。ただ、高校に入って仲良くなった6人のうち2人が震災で父親を亡くしていた。普段は全然そんなそぶりは見せませんでした。被災地だけど、自分は被災していない。何かやらないと、と強く思いました。

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 吉浜さんは、地元を盛り上げようと、2016年に宮古市内で音楽フェスティバルを開催した。その後、自分の可能性を広げるため米国の高校に留学した。

 吉浜 フェスでは、最初3人だった運営メンバーが30人に増え、小中高校生のバンドやダンサーなど約120人が参加してくれました。ただ、バッシングも受けました。「被災していないのに、被災地を代表するな」って。そんなとき、支えになったのが「お前は間違っていない」「自分もがんばろうと思った」という励ましの声でした。

 ――なぜUターンしたのですか?

 吉浜 地域に貢献したいという思いはずっとあって、どこでやるかっていうときに「地元だから」に勝る理由はないなと。家族もいるし友達もいる。顔の見える関係なので、仲間も増やしやすいという利点がありました。

 一方で、地域に残る若者が少ないので、過度に期待されてしまうこともある。若いから何でも頼めばやってくれると思われがち。それが重圧になって、ドロップアウトしてしまった友人もいます。

 三浦 自分の場合、ひっそりと移住してきたので、そのプレッシャーはありませんでした。震災後、多くの人が出入りしていたことで、地元の人も慣れていた。最初は「東京のねえちゃん」って呼ばれていました。「いつまでいるの?」と聞かれることも多かったけど、気がつくと、6年以上経っていました。

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 三浦さんは昨年、引退した漁師から資材や漁場を引き継ぎ、ワカメの生産者となった。吉浜さんは、宮古市内の企業と首都圏などの人材をつなげるマッチング事業を始めた。さらに、創業約170年の「菱屋酒造店」(宮古市)から業務委託を受け、企画・広報を手がけている。

 三浦 自分の名前で養殖をしたいという思いは常に持っていましたが、「無理だ」「まだ早い」と言われてもおかしくなかった。周りの人のサポートがなければ、とても始めることはできませんでした。

 一次産業の場合は特に、他の移住者との接点があまりありません。受け入れてくれる地元の人がいたから、いまの自分がある。もちろん楽しいというのが一番の理由ですが、恩返しのつもりで続けています。

 吉浜 なぜ酒造店かと言うと、日本酒が好きだからです。これまでに1千種類ほど飲みました。留学をきっかけに日本の文化への愛着が深まったことも影響しています。コロナ禍で外食需要が減り、在庫が多く出た。そのままでは商品にならなくても、「日本酒しゃぶしゃぶ」はできるんじゃないかと、地元の飲食店に持ちかけています。また、水産加工会社と協力してタラの「骨酒」や「ひれ酒」の商品開発も進めています。伝統の味は守りつつ、いろんな楽しみ方を提案していきたい。

 ――三浦さんはウェブメディアやSNSで精力的に発信しています。

 三浦 一般的に漁業は「きつい」イメージかもしれないけど、そればっかりじゃない。自分が働く姿を見せることで、少しでも「おもしろそう」と思ってもらえたらなと。実際、東京から体験したいって遊びに来る友達もいますよ。

 ――10年後、どんな自分になっていたいですか?

 三浦 まずは生産者として自立することが目標です。その上で、一緒にやりたいと思ってくれる人が出たり、新たな雇用が生まれたりしたらうれしいです。

 吉浜 正社員を雇う余力はないけど、外部のアイデアを借りたい、という企業は多いと感じます。自分が菱屋で成果を出すことで、「複業」がもっと一般的になればいい。多くの人を巻き込んで、地域の内と外をつなぐ存在になりたいですね。

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 よしはま・ともき 米国の高校を卒業後、子どもの地域活動を支援するNPOなどで活動。昨春から故郷の宮古市で地域おこし協力隊員に。地元ラジオでパーソナリティーも務める。22歳。

 みうら・ひさこ 東京の大学に在学中、ボランティアで被災地に通った。2014年春から、陸前高田市でカキやワカメの養殖に携わる。カキ殻を使った商品開発も進めている。29歳。