[PR]

 1969年、大阪市で日米安保条約継続に反対するデモに参加し、機動隊との衝突の後に亡くなった岡山大生の糟谷孝幸(かすやたかゆき)さん(当時21)をしのび、当時の若者ら70人が「抵抗」への思いを振り返った記録集が刊行された。今秋には大阪市で記念の集いを開く。

 糟谷さんは兵庫県加古川市出身。ベトナム戦争が続く中、佐藤栄作首相が日米安保継続をめざして渡米するのに反対して69年11月13日に大阪市北区の扇町公園であった集会に参加し、頭の骨が折れる大けがを負って翌日死亡した。学生らは「機動隊による虐殺」と主張したが、隊員は不起訴となった。

 記録集づくりは元学生らが2年前に結成した「糟谷孝幸50周年プロジェクト」が呼びかけた。当時、運動に参加せず、「ノンポリ」と言われた同級生や、糟谷さんらの「息子世代」にあたる記録映画作家ら70人余りが寄稿した。

 「アジアへの侵略戦争を担わされた世代の子として、日本が再び戦争に加担することは絶対に阻止しなければ、と切実な思いだった」。デモ参加者で、プロジェクトに協力した北川靖一郎さん(77)=大阪府八尾市=はこう振り返る。

 ベトナム戦争では、在日米軍基地が補給や負傷兵治療など重要な役目を担い、日本は「後方基地」だった。

 次世代に教訓にしてもらいたいと、単なる「追悼」や「懐古」で終わらせないよう編集には気を配った。

 寄稿した一人、山本義隆さん(79)は元東京大全共闘代表だった。寄稿文では後に起きた内ゲバ(内部闘争)の深刻さに触れ、「同列には語れないにせよ、内ゲバによる殺人に目をふさぐことは許されない」とつづった。

 記録集「語り継ぐ1969 糟谷孝幸追悼50年――その生と死」(社会評論社、税別2千円)。記念の集いは11日に開催予定だったが、新型コロナウイルス感染が拡大したことから今秋に延期した。問い合わせはプロジェクト世話人の内藤秀之さん(080・1926・6983)。(武田肇)

関連ニュース